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上杉和子さん

風にのって はなひとひら(ブログ)

いつも掲示板にすてきな“こころ”を残してくださる
上杉さん(ここでのHNは姐さん)のお話を
 少しでも多くの皆さんに読んでいただきたいと思います
 感想などお寄せいただき 話の輪が広がり
ネットの新しい繋がりが出来るようならと思います
 


    〜〜叶うなら歩み緩めて語りあい 人生謳歌豊かな瞬間を〜〜
 
                                    一人静
                                                                                                              


マサニイさんに作っていただきました



〜〜〜 ご案内 〜〜〜
 
花ひとひらさんがお父様との合作で
ご本を自費出版されました

心温まる父と娘の会話
読み進んで行くごとに 
なつかしい 
昭和の風景が浮かんできます



ご希望の方は  こちらに  →
 






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(ヘルパーの仕事 ・・・ 京都新聞 「窓」投稿掲載

 十五年余在宅ヘルパーをしていて、この4月で定年になった。
 ヘルパーの資格をいかして、デイサービスに常勤ではないがパートで時々勤務をさせてもらっている。
 個人の在宅介護とは違い、集団での介護はまたそれなりに楽しい。
 先日は運動会で、若い職員さんに混じり年がいもなく真っ赤なマニュキュァ、口紅を塗り、
 脇の開いたパンツで「山本ヘンダ」(山本リンダの狙い撃ち)を余興でやった。
 またAKB48の真似をして応援合戦をする。私はそれまでAKB48を知らなかった。
 綱引きは利用者さんと椅子に腰掛けてやる。綱をもてない人と、手を?ぎ片手で綱を引く。
 手の繋がりに温もりが伝わってくる。どの人も笑って笑顔が溢れる。
 在宅介護、通所介護、どちらも大切だとつくづく思った。

 私自身、若いスタッフに体力的にも足手まといになることも多いが、
 履いた事もない脇開きパンツを穿かせてもらえたり、とても若返った気分だ。
 利用者さんと年が近いせいか共通の話では盛り上がる。
 また体が思うように動かない利用者さんや、認知症が出ておられる方には「行く道、通る道」と思う。
 高齢期を迎えても、こうしてみんなで楽しく日々を過ごせたらと思う。
 








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(飽食の時代だからこそ、美味しいのだろうか)・・・2010.10.01

 畑を始めた。今夏は自家製のキュウリ、トマトが毎朝の食卓を飾った。
 トマトは収穫しながら口に入れる。太陽の味がした。
 キュウリは刺があり痛いことを知った。サクサクと包丁目が気持よく入る。
 蚊の集中砲撃、酷暑にも勝る価値があった。
 
 もう一つ大きな楽しみも植えておいた。サツマイモだ。
 「畑は粘土質だから、収穫は期待しない方が良い」と言われたが、
 私は芋でなく蔓が楽しみだったのだ。
 サツマイモの蔓が大好物だ。随分昔から大好物だ。
 蕗に似ているがアクがなく、調理もし易い。

 ズイキも好きだ「芋がら(カス)ばかり食べて」とよく笑われる。
 大正生れの父はどれだけ薦めても「戦時中を思い出すから嫌だ」と食べなかった。
 なんだか肩身が狭かった。が、最近、八百屋にもサツマイモの蔓が並ぶようになった。
 私は顔を大きくしている。

 蔓を食べるために植えたサツマイモが庭一面に広がり、その瑞々しいこと。
 佃煮にする。ベーコンと油炒めにする。アゲと煮びたしにする。
 かきあげ天婦羅に入れる。蔓を活花に添えたりもする。素晴らしい野菜?だと思う。
 食料のない時の蔓は確かに惨めな物だったろう。私は平和をかみ締めながら蔓を頂く。
 そして、味と共に困難な時代だったことも考えてみる。
 芋蔓は、私にご馳走と平和を願う大事な食べ物になっている。  








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(お盆に命を考える)・・・2010.8.28

 お盆の渋滞が始まりだした。我が家でも子供たちが孫と帰郷する。
 せっかくの休みを帰郷に使ってと気にしながらも、やはり家族と会うことは嬉しいし、
 なによりもお盆は皆でご先祖を思う時でもある。
 これは宗教に関係がない。ご先祖さまがいてこその自分達である。
 
 私達には両親がいて、両親にもそれぞれの両親が有り、
 それを連綿と二六代遡っただけでも祖先の数は一億3432万726人余りになり、現在の人口を超える。
 そのどの一つが欠けても現在の自分は存在せず、また次の子供も存在しない。
 これほど多くの命を受け継ぎ、自分は生かされている一つであることを感じたい。
 
 最近あまりにも悲しい事件が多すぎる。子供を死に至らしめる虐待、100歳以上の不明者。
 これは政治や行政の問題以前に、人としての基本である
 (1億3432万726人の一人である事)を忘れた結果であろう。
 自分の祖父母や親の存在確認すらも出来ないで、平然と何年も居られるものだろうか。
 我が子への愛情を簡単に放棄出来るものだろうか。
 ここまで人の心は失われてしまったのかと行く末が恐ろしくもなる。
 親の存在確認すら出来ないことは、これは形を変えた現在の「姥捨て山」ではなかろうか。
 「姥捨山」は、最後は高齢者の知恵に教えられ人間性を取り戻す。
 
 折からお盆の季節だ、先祖様や祖父母、両親 そして子供を敬い、
 1億3432万726人の命を考え直す時にして欲しい。
 そして人間性を取り戻して欲しい。そして亡くなった子供や尊い命に冥福を祈るお盆にしたい。



pekoさんからお借りしました
レンゲショウマ(蓮華升麻) 22年8月
花言葉・・・伝統美

うつむき加減に咲く清楚な花
花は蓮に 
葉はサラシナショウマに
似ているところからこの名がついたとのこと
 





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(一人旅が出来た)・・・2010.7.30


 初めて泊りがけの一人旅をした。
 ホテル予約には「女の一人旅なんですが、安全な部屋ありますか」などとトンチンカンな問答で始まった。
 時刻表を繰っていく。上手くバスやフエリーに繋がらない。
 ネット検索をして見るが、小さい島のバス運行表などはない。
 電話代を気にしながらも、あちらこちらと問い合わせをする。
 やっとスケジュールができたときは、すっかり旅をしているワクワク感だった。
 旅は目的地に行くだけではない。
 「行こう」と思ったときから始まっているのだと思った。

 応募した作品が賞に入り、その地に行ってみたいと思ったのが始まりだった。
 賞に入った事も嬉しいが、一人旅が私にも出来た事がもっと大きな賞になった。
 最初どうして行けば良いのか分からず、あきらめかけ「旅行会社に組んでもらおうか」などとも思ったが、
 やれば出来るのだという達成感が私を成長させた。

 元気に心身ともに過ごせるように頑張り、
 また快く送り出してくれた家族に感謝して、
 また次の一人旅を目論んでいる。







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(ヘルスツーリズムに癒されて)・・・2010.6.30

 
 森林浴は体にも心にも良いものだと何となく思っていた。
 それが何となくではなく、学問的にその効果が解明され、数値でも証明されるものだった。
 散策が好きだし、植物に興味があったので、森林浴の医学的効果や森の植物、
 森の歩き方などをガイドする養成講座に参加した。

 講座名の「ヘルスツーリズム」は聞きなれない言葉だったが、
 (Health Tourism) で医学的な根拠に基づく健康回復や維持増進につながる観光のことで、
 ニューツーリズムとして、産業観光・エコツーリズム・グリーンツーリズム・
 ヘルスツーリズム・ロングステイ・文化観光などを含み、心身ともに健康を目指すものだと知った。
 ビートルズのジョン・レノンが長期、日本の軽井沢で滞在し、日本の自然に癒されていた事、
 また文豪夏目漱石が森に癒されていた事なども知り興味深かい。
 そして講義で映し出される日本の自然の美しさに、私自身が癒されっぱなしだった。
 そして森林療法とか、ツーリズムなどと言われるものは決して特別なものでなく、誰でもが癒され、
 次への活力を得る事の出来る<自然の恩恵>を受けることだと思った。
 自然破壊や混沌とした時代であっても、自然の大きさに触れ、日本古来の文化にふれることが、
 どれほど人を癒す事かと改めて思った。
 
 養成講座を終了した。体の不自由な人も支えて森に案内したい。自然の力を共有したいと思う。
 3D画像が出現してきている。ipadとか言うものも出てきた。そのうち森や滝や川や様々な自然の中の画像に、
 自分の体を入り込ませられるようになるかもしれない。部屋で観光も出来るようになるかもしれない。
 しかし、そこに五感を感じる技術は現れるだろうか。
 やっぱりコミュニケーションをリユックに詰めて背負い、野山に行きたい。
 そして沢山の人と触れ合いたいと思う。
 ヘルスはヒル・・・魂の癒しだと思う。




kuma3さんからお借りしました
清里の滝 18年9月

自然の散策は
五感全開で
ぼんやりしてはいられません

・・・・ん〜〜〜 ひゃっこい!!





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(e-Tax簡単でした)・・・2010.2.26

 「e-Tax簡単でした」
 確定申告をe-Taxでやってみた。思ったより簡単だった。
 確定申告と言っても還付金を無駄にしたくない一心で結婚をし、家を建てたときから始めた。
 夫はサラリーマンで、税金は給料引きだったせいかあまりこれに関心はないが、
 私は子育ての終った25年程前からパートの仕事に付き、職場の年末調整も自分でしてきた。
 重荷になることもあったが、税の仕組みがよく分かる。
 最初は説明会に通い自分で要領を掴み、税理士さんに目を通してもらわないで、郵送で提出するようになった。
 三月で長い勤務も定年になり年金生活者になる。
 還付金は臨時の小遣いに使わせてもらっていたが、もう還付金もなくなる。
 最後の申告はe-Taxでと決めていた。
 税務署へ送信したとき一抹の寂しさと安堵感があった。

 確定申告は自分でやったほうが良い。
 自分で自分の確定申告票を作成すると、とても税金に興味を持ち、またその行方が気になる。
 (自分がいくら稼いで、いくら税金を払うのか分かることはとても大事な事だと思う)
 e-Taxのように申告は簡単に出来る。
 自分でやれば税を誤魔化したり、いくら収入があるか知らない、
 あげくには税を湯水の如く無駄に使うこともしなくなるのではないだろうか。
 今年の確定申告は政治家達のいい加減さに、憤りと自分の一抹の寂寥感、
 安堵感から何時もより感慨深い確定申告になった。
 








・・・48























(夢を実現していこう)・・・2010.1.30

 知人宅が薪ストーブになった。薪ストーブがエコブームになっている。
 私は子供の頃、暖炉の側で居眠むりをしたり編物をしたり、
 料理をしているお婆さんの載っている絵本に憧れていた。が、
 私を育ててくれた祖母は忙しく立ち働くばかりで、のんびりと暖炉で寛いでいる世界とは大違いで、
 同じお婆さんでも大違いだと思っていた。
 そして、いつかは祖母を絵本のお婆さんの様にして上げたいと思いつつ、
 明治生まれの祖母は遠くに亡くなってしまった。
 そして次には私の老後の憧れてとして、あの絵本のお婆さんの様に、
 私が薪ストーブで過ごせたらどんなに良いだろうと思っている。

 昨年は、15年間ホームヘルパーをして貯めたお金で、沢山の詩を残した父との共著本を出版し、
 滋賀県芸術祭の文芸出版物賞に選ばれた。新聞記事にもなり、知らない方からの応援も頂いた。
 一つの区切りが出来たと思っている。

 仕事が定年年齢になり三月には退職になる。
 引き続き仕事につくことも選択できるがここらで一区切りをつけたい。
 有り難い事にまだ健康である。
 いままでのご褒美に薪ストーブの傍で苦労ばかりで終ってしまった
 祖母や家族を偲んで編物をしたり居眠りもしたいと思う。
 子供のころのあの絵本の夢を実現できるかもしれない。
 ささやかな夢を追っていくことも、健康の秘訣かもしれない。が、先立つ物もいるなぁ〜。
 そこのジレンマもある。でも少しずつ夢を可能にしていきたいとそんなことを思っている。









・・・47


















(冥福を祈ります)・・・
2009.12.25

 日本画家の重鎮、平山郁夫画伯がお亡くなりになった。
 突然の訃報に驚くと共に悲しみが増す。

 地元に佐川美術館があり、平山郁夫画伯の絵が常設されている。
 画伯の絵が好きで何度と訪れるのが楽しみで、目を瞑れば数々の絵が浮かんでくる。
 絵に魅力を感じると共に、画伯の人柄も魅力的だった。

 シルクロードを愛し、バーミヤン遺跡の破壊には心を痛められ、画伯の原点は平和を願い、
 人々を平和に導く事であった。そして、「花と語り合いながら美しいところを描くことが大切」と仰っておられた。

 誰にならったこともなく我流であるが、私も絵を描くのが好きである。
 そこには、この「花と語り合う」の言葉に、ずうと導かれていた気がする。
 八ケ岳山麓で、地元の小学生らを対象にした絵画教室を開催されており、
 いつも「花と語り合いながら美しいところを描くことが大切」と子供たちに語り、
 スケッチする子供たちの輪に加わっておられる姿をみてますます大ファンになった。
 そして私もいつも花と語り合い、美しいところをみつけ、美しい心でいたいと、それを指針にしていた。

 79歳の死去は早すぎる。残念で仕方がない。しかし、画伯の教え、優れた作品は永久に残る。
 画伯の急な死に寂しさと驚きを感じるが、作品は生き続け、人々に生きる希望や癒しを与え続けていく。
 原爆症を負いながら、いつも平和を願いその大事なことを教えて下さった絵は、世界の遺産でもある。
 素晴らしい画家の偉業は永久に残る。芸術の素晴らしさも教えて下さった。
 画伯を偲んで美術館へ行き、静かに冥福を祈りたいと思う。








・・・46






















 
(秋の一日)・・・2009.11.29

 芸術系大学と地域が組んで「アートプロジャクト」をやっていた。
 教会も参加して「ブォーリズ・カフェ」というのをやっている。
 近くにこんな素晴らしい教会があったのだ。この教会はブォーリズの建築だ。

 中に入るとセルフサービスで菓子等と共にテーブル一杯に飲み物が広げられ、
 教会の窓はステンドグラスだとばかり思っていたが、ここは柔かいオレンジ色のガラスがはめられている。
 外の蔦が影を映している。どこからとも無く音楽が流れてくる。
 子供の結婚式でしか教会は知らないところだったが、柔かい空気の流れる心の落ち着く場所だった。

 古い木造の階段を上ると、学生たちの油絵が展示されていた。
 モデルは地域の人たちだと言う。若い人たちの行き来が多い。
 このアートプロジャクトで、各所に自分たちの作品を展示したり、地域を案内したり、
 郷土料理を出したりと忙しくしているのだろう。
 地域密着型の学生主体の展覧会と言える。

 学生達の中には遠く自分の郷土を離れて来ている人もあろう。
 しかし、学びの里を郷土として、その里の人たちと手を組み、アートと癒しの世界に私をいざなってくれる。
 熱い熱気も伝わってくる。郷土の誇り。そして若いアート人。

 これからも頑張って。

 そんなことを思い、私も知らなかった郷土を知る、嬉しい秋の一日だった。







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(道路はのんびりと)・・・2009.10.30

 歩いているといろんな物が目につく。
 道路に鋲が落ちている。
 以前自転車に直径5ミリほどの針金がタイヤを貫通して倒れそうになった。
 乗用車がパンクしたこともある。どうしてこんなものが落ちているのだろう。
 新型インフルエンザが喧しく言われているのに、道路には痰も吐かれている。
 車に轢かれた猫や亀の死骸に出会うこともある。
 菓子の空袋が転がっている。煙草の吸殻も落ちている。
 台風が通り過ぎた後に、栗が沢山落ちていて車がそれを潰していく。て拾ってみると
 両方のポケットが一杯になった。
 車では気が付かなかった贈り物だ。

 最近歩くことを増やしている。道路のいろんな表情が目につくようになった。
 町内は老人会の人たちが掃除をして下さるので気持よい。
 車の時には気が付かなかった感謝の気持も湧いてくる。 
 高速道路の無料化も良いが、目的に向かうことばかりを思い、
 その手段として安価に済むことばかりを喜ぶのではなく、歩いたり公共機関を利用しての旅や観光もまた、
 車では感じられなかった表情が見つけられるのではないだろうか。
 仕事で車を使うのは必需品だが、私は旅行や近くの日常生活には歩きを重要視したい。
 道路にもいろんな表情があることに気が付く。
 狭い日本そんなに急いで何処へ行く」と言うのがあった。
 旅はのんびりゆっくり味わうと、広く見えるかもしれない。
 いろんなことに車の駆け足しで情報だけに追われるのも必要かも知れないが、
 急ぐことを止める観光も休日に相応しいように思う。
 歩きはCO2を減らすことにも貢献出来るし、美味しい空気が味わえ健康にもなるしと良い事ずくめだと思う。
 
 紅葉の季節、車で紅葉を巻き上げて行くより、紅葉を一枚一枚拾いながら歩こう。
 渋滞を避け、公共機関や歩きで今まで気がつかなかった自然や道の表情を味わうのに
 相応しい季節がやってきた。




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(孫のゴミ分別に感心した ・・・ 京都新聞 「窓」投稿掲載

 夏休みに孫達が帰郷した。半年振りに会う孫達の成長ぶりには驚きと嬉しさがある。
 今夏は「ゴミ分別」で驚かされた。小学二年生の孫のゴミ分別は見事な物だ。
 母親の言うのには「学校できちんとゴミのことを教えられているから、
 今の子供は小さいときからゴミの分別が出来、
 それが習慣になっている。大人のほうが意識が足らない」らしい。 

 フアーストフード店に一緒に行った。
 トレーに、紙、ストロー、アルミのジャム容器、シロップ、フレッシュの容器、木やプラスチックのスプーン・・・
 いろいろが残骸として散らかる。彼はそれを分別してゴミ箱へ持っていく。感心した。
 
 彼はまた「エコ」が好きだ。
 私が米のとギ汁を植木に捨てに行くと「婆ちゃんそれエコだね」と褒めてくれる。
 教育とは凄いものだ。小さいときから教えられていると、それが当たり前で自然にやれるのだ。
 頭が固くなり(いままでの習慣をなかなか変えられず)そして無精になりつつある私は、大いに反省をした。
 
 私たちの未来はこの子達に支えられている。
 明るいものを感じると共に、それが生かされるようにしていくのは、やはり大人がしっかりし、
 大人の義務だろうと改めて思った。





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(育て!朝顔)・・・2009.7.29

 朝顔が咲いた。目の覚めるようなブルーの大輪だ。
 昨年、孫が学校の授業で育て、出来た朝顔の種を貰って植えたものだ。
 我が家の庭では例年、零れ種の朝顔が地面を這うようにして咲いていた。
 それは自家栽培を繰り返し、いつしか色を忘れたのか白色ばかりで、
 伸び放題にまかせ手入れもしていなかった。
 それはそれで、小ぶりの白さは煌く朝露のようでもあり、白い雲のようでもあり楽しんでいた。
 
 今年は孫に貰った種を植木鉢に蒔いてみた。
 そして毎年庭に勝手に芽をだすいつもの朝顔も鉢植えにし支柱を立て、育てるという意識をもって並べた。
 見事なブルーが三つ、白が一つ咲いた。
 例年地面を這っていた朝顔もほこらしげに天に向って大輪で咲いている。
 放ったらかしでも花は咲いていたが、当たり前のことながら育てるという意識を持ち、
 手塩にかけた朝顔は私を大輪で迎えてくれた。
 育てる楽しみと育てる大切さを改めて気付かせてくれた。

 孫に早速電話した「良かったね。婆ちゃん大きくなれ大きくなれて大事にしてやったからだね」と言われた。
 私は孫に教えられ育てられた気がした。
 育てることは手間隙もかかるし苦労もある。が、それだけに報われることも大きい。
 育てることの大事さと素晴らしさを教えられた気持だ。
 このことは全てのことに言えるだろう。遅まきながら朝顔に大事なことを教えられた気持だ。
 育てたご褒美に数を数える楽しみも加わえ、当たり前のことかもしれないが、
 改めて手潮にかける育てることの素晴らしさを味わっている今年の朝顔である。 


おそまつ言葉遊び

幾重にも育て朝顔日を浴びて  虹かかるごと稚な子の眼に 

零れ種は先祖がえりで園芸種から原種に戻るのでしょうか
歳を重ねると共に 子供に返って行く
植物も・・人間も
一緒のようですね




・・・42





























(故郷の道)・・・2009.6.29

 小さな漣の輪にか弱く揺れていた青苗も、水面が見えないほどに茂り、
 たくましく陽射を跳ね返す青田になった。
 青田の畦にはナツジオン、ツユクサが咲き、もうすぐすればノカンゾウも咲く。
 脇の畠にはアヤメやアオイが夏野菜の畝に同居して咲いている。
 野菜の無人販売の棚がヨシズを屋根にしてある。
 夜は自転車をこぐ顔に蛍が当たる。

 30数年前に越してきた時と変りの無い駅へ続く農道である。
 周囲は開発で大きく変化したがこの農道は変らずにある。
 最近は農道を歩く人が少なくなり、以前は春には畦のノビルやヨモギを摘む人もあり、
 秋には小菊などを手押し車に乗せた高齢者と挨拶を交わしたものだが、
 いまは若者がときたま超スピードで駆け抜けて行く位だ。

 しかし、この農道は私の大好きな道で、そしてここが故郷になりつつある。
 
 我が家でも「婚カツ」などという言葉が出る状態だったが、
 なんと息子が式の段取りを決めて突然挨拶に来た。
 そして帰路を、私の勧めに従って農道を歩いたようだ。
 それは自分の小学校時の通学路を案内することでもあった。
 そして、相手の女性の方から農道の素晴らしさにお礼状が来たのだ。

 婚カツが実ったことも嬉しいが、農道を気に入ってもらえたことが嬉しい。
 農道は心の中の故郷でなく、私の本当の故郷になった気がする。

 初夏の風にますます快適に農道を駆ける。
 青苗も緑を増しすくすく育っている。

 若い新世帯も同じ様に育ち、そして故郷をつくって行って欲しい。
     ほ ほ ほたるこい

  あっちの水は苦いぞ

  こっちの水は甘いぞ

     ほ ほ ほたるこい

・・・育てたように子は育つ・・・

むかしの人の言葉は
含蓄がありますね






・・・41





























(新しい朝が来た ・・・ 京都新聞 「窓」投稿掲載

 「新しい朝が来た 希望の朝だ喜びに胸を開け 大空あおげ・・・」ラジオ体操の歌である。
 いまこの歌に元気を貰っている。

 6時半に目覚まし変りにラジオをかけていた。ラジオ体操が始まる。
 寝床の中で体操をしないで歌を聞き、気持だけ体操をしたつもり
 (たまには蒲団のなかで足をもぞもぞと動かす事はあったが、体操に興味はなかった)になり、
 放送が終れば起きるという日常だった。

 温かくなりなんとなく、元気な歌声と掛け声に誘発され蒲団から抜け、パジャマのまま体操を始めた。
 驚いた。手順を覚えているのだ。リズムかるに次の動作の声がかかる。それにあわせられたのだ。
 それだけではない。
 懐かしい子供時代が溢れ出した。夏休みのラジオ体操。川泳ぎの前のラジオ体操。
 すっかり子供時代に戻ってしまった。

 ラジオ体操は何年ぶりだろうか。
 全校生徒が校庭に整列し、また体育の授業前には必ずラジオ体操をした。
 高校は進学校だったので体操をした記憶がない。すると半世紀ぶりということだろうか。
 半世紀ぶりにも体が覚えている事に気を良くし、次の日から、6時に起き
 ラジオ体操を待つようになってはや1ヶ月が過ぎる。
 
 体操の歌が始まると体が自然と目覚め、そして終えたあとの爽快さ。朝の準備も楽しくなる。
 まさに「新しい朝が来た」其れを実感する。
 これからの時期、体の線も目立つようになる。
 無理は禁物と第一体操だけでやめていたが、そろそろ第二体操もやろうかと思う。
 布団の中でなく実際に体を動かすと、新しい朝が押し寄せてくるようで、爽やかな一日が始まる。
 すっかりラジオ体操にはまっている




あかずきんさんからお借りしました
     お や つ  19年6月

缶を振ると
カラ♪カラ♪カラ♪

 ◇

まだまだ沢山残っています
体操が終わったら
みんなで 仲良く
食べようっと♪




・・・40






















(百花繚乱の春 ・・・ 京都新聞 「窓」投稿掲載

 桜花が例年より開花が速いかと思えば、その駆け足ぶりに気がついたのか、
 寒さがぶり返しやきもきさせながらも、今年も花見の幸せがある。

 もう直ぐに水張りのされる田圃には、タネツケバナやナズナ、ノミノフスマの白い小花が、
 敷物を広げたように白く埋めつくされている。
 桜に気を取られ上ばかり見上げているが、足元にも可憐な花が揺れているのだ。

 調理に使ったあとの捨てる大根、人参、牛蒡などのヘタを、皿に水を貼りつけておいた。
 ぐんぐんと伸びていき観葉植物のように緑を楽しませてくれた。
 エコでもあり、食糧難に備えては大袈裟だが、何気なしにした行動だがヘタから葉が伸びて茂り、
 人参葉の細かい繊細さにはうっとりもする。
 大根葉は1回分ぐらいの味噌汁の具にもなる。牛蒡もうぶげとともに可愛い成長を見せる。
 伸びて垂れ下がるサツマイモの風情もなかなか良い。
 大根はどんどん葉と共に茎をだして頂きに花までつけ始めた。
 小さいがもつれ合う白蝶のように楽しませてくれる。
 生きるシステムは、ヘタにまで指令送っているのだろうか。

 華やかに咲く桜もよいが、こうして台所の片隅で咲くヘタが愛しくなってくる。
 無駄なく大切にすることに通じる褒美のようにも思えてくる。
 いろんな花が命の輝きを教えてくれ元気をもたらしてくれる。百花繚乱の嬉しい季節だ。






・・・39























(森羅万象の「生」に合掌)・・・2008.03.14 京都新聞 「窓」投稿掲載

 啓蟄も過ぎたが、桜の開花は例年より早いようだ。
 やはり地球は確実に温暖化(温暖化でなく、高温化しているという人もある)に向って進んでいるのだろうか。
 啓蟄は冬眠していた虫たちが春暖に目覚めて穴から出てくる日で、
 春分が太陽黄経0度なら啓蟄は345度の時だ。
 生き物の活気がみなぎり初める時でもある。
 しかし、今年はこの啓蟄までに3度も夏日に近い日があり、その数日後には雪が降るという戸惑う季節だった。

 我が家の朽ちた木にカブトムシの幼虫が生まれていた。
 大きな乳白色の塊で、庭に命が息づいているのが嬉しかった。
 しかし、2月中旬の23度という夏日に近い暑さに、この幼虫が這い出てきて、翌日には硬くなっていた。
 そして天気予報の「明日は暖かいでしょう」につられたように這い出し、皆んな硬くなっていった。悲しかった。
 啓蟄まで待てなかったのか。

 生き物は何万年もの間に、環境変化に合わせ進化しながら今に生き延びていると言う。 ならば甲虫も、
 いづれはこの気候の変化に応じられるように遺伝子は組替えられるかもしれないが、
 目の前のカブトムシの幼虫は動かない。
 我が家の庭には以前はいろんな虫(蛇、ミミズ、鼬、ネズミなど)もいた。
 しかし、今、変らずにいるのはゴキブリだけである。カブトムシの幼虫に「もう少し外界を読み取ることをしておくれ。
 危機意識をもっておくれ。まやかしに騙されるな」と私は叫んでいる。
 (これは最近の人様にも言えることかもしれない)春分の彼岸には、森羅万象の「生きる」ことに手を合わせたい。 





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(頑張る若いパパとママ)・・・2008.08 京都新聞 「窓」より

 夏邪風か、高熱の引かない孫の世話を急遽頼まれた。
 娘は長い育児休暇明けの勤務で休み難いし、父親は三日間高熱の孫のために夏休みを使い、
 これ以上は休めないらしい。
 子供を育てながらの会社務めは並大抵ではないのだろう。
 心配なのでとりあえず駆けつけた。超多忙の中で不規則な生活をしているのだろうと思っていた。
 しかし此方が教えられる事も多かった。
 
 娘は朝五時起きで、夏休みに学童保育に通う孫に弁当を作っている。
 六時過ぎには家族が起きだして来る。そして朝食をとる。
 聞いてみると、夕食は父親が残業の時や、母親が残業の時もあり揃うことが少ないので
 朝食を家族揃ってとることにしていると言う。
 私の分も娘が作ってくれたのだが、一日を始めるエネルギー源として、しっかりバランスの取れたもので感動した。
 そして出勤までの時間をゆっくりと家族が団欒をしている。
 
 朝食抜きとかが問題になる社会だが、自分たちの生活パターンで、
 自分たちなりのベターな方法で家庭を大事にしていることに嬉しかった。
 夫婦の役割も決め、残業で遅く食事したときの後の洗い物は、必ず自分ですることになっていると言う。
 夫婦、孫たちが力をあわせ懸命に生きているのに感心した。
 私たち、老夫婦の方が娘達(若い者から)学ばなければいけないと感心し、嬉しくもあり安心もした。
 娘は育児休暇の間にしっかり家庭運営の大事さを学んだという。
 そしてそれがあるからこそ、どんなに大変でも子育ての大事さ、家族の大事さを思うと言う。
 会社や社会の支援を有難い応援として、日本の健やかな家庭が育っていくことに力強さを感じ、それを願う。





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(「まいど〜〜〜」宇宙に響く「げんきだぞ〜〜〜」)
・・・2009.1.29 

 後ろ向きになるような記事が多い昨今だが、大きな夢のもらえる記事だった。
 H2Aロケット15号機で打ち上げられた小型副衛星7基のうちの一つ、
 大阪府東大阪市の中小企業が中心となって開発した「まいど1号」が無事打ち上げに成功し、
 いま「まいど1号」は「まいど〜〜」と大阪弁で宇宙を開け、挨拶をしている。

 この「まいど1号」は、「小さな企業でも頑張れば大きなことにも挑戦できる、
 不況に苦しむ全国の中小企業にとって、衛星が希望の星になってくれたら」の夢を託して宇宙を飛んでいる。
 不況に喘ぐ中小企業であり、また大阪府の大学職員の給料も下がる一方だと聞く。
 そんな中で、企業、大学、学生たちが共同で、夢を捨てずに生まれ立派に宇宙へ飛び出たのだ。

 この事業を大学で教鞭をとっている子供から聞いた時には、
 衛星のことなどなに一つ分からない私だったが「希望」と言うことに胸が高鳴った。
 社会の状況はどんどん悪くなるいっぽうだが、いま宇宙を「まいど〜〜〜」と「希望」が巡っている。
 「まいど1号」が見えるはずもないが、私は空を見ては「まいど! おおきに〜〜〜」と声を上げている。

 サポーターズクラブに入会した、会員2614人の名前が刻まれたプレートもつけて、
 夢と希望が宇宙を飛んでいる。
 くじけないでいこう。こんな大きな夢を発信できるのだ。
 暗い暗いと落ち込むことばかりでは意味がない。「まいど〜〜」お腹に力を入れ元気の素の合言葉にしてみよう。




kuma3さんからお借りしました
20年2月 小岩井農場 一本桜

わがふるさと イーハトーブ
冬の広い大地に
凛と樹つ小岩井の一本桜
何事をも包み込んでくれるこの風景を見るとホッとする
賢治もきっと・・・此処に居たんだろうな、、、。



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(公共の場。気配りも大切)
・・・2009.元旦 

  先日、何十ぶりかで新幹線に乗った。
 私は新幹線の車体が流線形になっているのも「こだま」や「ひかり」の本数が少なく、
 「のぞみ」が多くなっているのも知らなかった。
 それにも増してこだまやひかりの自由席がとても空いていて、
 乗車客はにぎやかな中年のご婦人方で占められているのに、圧倒してしまった。

 よく車内で化粧をする若い人を見るが、マナー面でそれにも負けないほどの大声の傍若無人ぶりに驚いた。
 私も偉そうなことは言えない。
 仲間がいるとやはり声高にいろんなことをしゃべっているかもしれない。
 しかしあまりにも周りを気にしない人が、年齢に関係なく増えつつあるようにも思う。
 自分の世界、仲間の世界しか見えないのだろうか。
 そしてそれはなにかと言うと、人のせいにする下地が見え隠れしているようにも思う。
 確かに昔の旅は弁当を広げ、米粒を拾いながらの車窓の旅が楽しかった。
 しかし、車内は公共の場である。

 若い人だけに苦言を呈するのでなく、上の世代も心しなければいけないと思った。
 自分が楽しくしたければ、人も楽しくなるような行動が出来たらよいのにと思う。




・・・35
   
 












 







                                 
              

(手紙も楽しい)
・・・2008.11.03 

 孫から手紙がきた。
 手術をする孫へ「頑張ったら欲しい物をプレゼントするからね」と言う私の手紙への返信である。
 自分の欲しい物と、妹が欲しがっているもの、パパとママが欲しがっているものまで書かれていて、
 自分だけでなく他の人をも思いやる優しさなのかどうなのかと、苦笑してしまった。

 赤ちゃんの時から、パソコンに涎をたらしハイハイしながらのぼってくるIT時代に育ち、
 本来ならメールでやり取りをするところなのだが、私はあえて手紙にしている。
 孫が読み書き出来るようになるのを随分楽しみに待っていた。

 小学一年生になり私の願いが叶い手紙でやり取りをする。
 私には、隣同士に座っていながらメールで会話する巷の現象にはとうてい理解が出来ない。
 会話はアイコンタクト重視。離れている孫との通信は葉書か封書と決めている。
 デジタルよりアナログの化石人間なのだろうか。が、
 私自信もブログはしているし知人との連絡会話はメールで済ます。
 しかし、孫のたどたどしい手紙の字間から上がって来る孫の匂いには勝てない。
 ITは瞬時に情報も気持も受け取れる便利なツールだ。
 しかし、手紙を書く時間、返事を待つ時間、読んで字間から漂ってくる相手の顔や空気、
 時間はかかるが私には素晴らしい宝物だ。
 孫は最近絵も添えてくれる。
 私も負けないようにアニメキャラクターを描く練習はパソコンではするがコピーではない、
 たどたどしく描いた物を添える。
 メールも良いが下手な字や絵や、かかる時間もオマケのように思う手紙も楽しい物だ。
 IT化がまだまだ進み、どんなコミニケーション・ツールがこの先も出てくるかもしれないが、 
 孫とはいつまで手紙の交換が出来たら嬉しいと思っている。



文箱
こちらからお借りしました

ふみ(23)の日
この頃は手紙も書かなくなってしまいましたが
ふみの日などと言われると
筆不精の私も
ご無沙汰のお詫びを・・と
日々の生活の中に
 潤いの時間を持ちたくなったりします(*^-^*) 



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(命をつなぐ食認識しっかり)
・・・2008.03 京都新聞 「窓」投稿

 一連の「食の安全問題」で、わが家の食卓の国産率がどれぐらいか調べてみた。
 老人二人の暮らしで、加工食品などはほとんど使わない。
 野菜類は菜園をしている人から頂くことが多い、夕食のブリと煮る大根は頂き物。
 ブリは国産のつもりだが、外国産かもしれない。調味料は、原材料の生産地が明確でないので分からない。
 ほかのものも、同じように、100%国産とは言い切れない。

 あらためて意識してみると、食卓には外国産の物が多い。
 忙しく仕方なく加工食品を利用する人、食べ盛りの家族を抱えて大量に食品が必要な人は、
 国産の比率が低くなると思う。
 購入するときに、賞味期限や原材料に目を通すようにしても、高齢者にあの小さい字が読めるのだろうか。

 一方では、毎日のように食べ歩きや大食い競争などの料理番組が放映されている。
 私たちは本当に、食に対して真摯な態度で接しているのだろうかと思う。
 大量の食品を輸入して、無駄な大食いをし、余ったものを廃棄して、そして安全性におびえている。
 世界では、飢えで死んでいく子供たちもいるというのに・・・。
 食べ物の安全性以前に、命をつなぐもとさえない国もあるのだ。
 食は命をつなぐものだという認識を、真摯にみなおさなければいけないと思う。





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(秋の日差しに素敵な出会い)・・・2008.10.18

 真っ青に清んだ空と透き通る日差し。秋晴れは心地よい。
 そんな心地よい秋晴れの日の京の街で、まるで秋晴れのような方に出あった。

 知人と昼食を取るために蕎麦屋に入った。満員で相席になった。相席は始めての経験だ。
 店全体で考えれば、全員初対面であり、初対面の者同士が一つ屋根の下で蕎麦を啜るわけであるから、
 見知らぬ者同士がテーブルを一つにしたところで蕎麦の味が変わるわけでもない。が、
 蕎麦を食べるという行為以外に知人とだけの空間も代金に入るとすれば、
 心通わせる者だけの空間は値引きになってしまうかもしれないなどと、思いながら蕎麦を啜る。

 先の客が立ち、次にかなりお年を召されたご婦人が一人で坐られた。
 一瞬、ふわぁ〜と秋の日差しが腰掛けたような気がした。
 にっこり微笑まれその笑顔が、スパイスを加えたようにより蕎麦の味を美味しくする。
 そして、知人と私の会話にごく自然に、穏やかな笑い声で入ってこられた。
 「なんと可愛く素敵なお婆さんなのだろう」と嬉しくなった。
 ただそれだけの話なのだが、普通なら老婆が一人蕎麦屋に足を入れる光景は、孤独にも見える。が、
 そんなことを感じさせない秋の澄み切った空気のように穏やかで、光り輝いて見えた。

 年をとることを負のように思うことも有るが、こんな素敵な老人にもなれるのだと嬉しくなった。 
 私も素敵なお手本をどんどん見習い、秋の光のように過ごしたいと思う年になってきた。




TAKESANからお借りしました
京都 祇園界隈 19年7月


舞妓さんに逢えそうな祇園界隈
ゆったりした時が流れる所には
殿方ならずとも
立ち寄りたくなりますね





・・・32


















(空からの手紙、大地からの手紙)
・・・2008年 京都新聞 「窓」 掲載

 地球温暖化といわれながら、予報に反してこの冬は厳しく、当地では数回の積雪を見た。
 雪の日の暖かい部屋は、窓硝子が曇る。それを丸くふき取ると外の吹雪が、
 まるでポストに「雪の手紙」が入ってくるようにみえる。
 雪はよく「空からの手紙」といわれる。そして「思い出」を連れて来る。
 好きな名曲の「雪の降る街を」は、「思い出だけが通り過ぎていく」そんな思いにさせる。
 冬の歌には名曲が多いと思う。寒さに耐える情感が、強く美しいものだからか。
 
 今は「早春賦」の季節だ。
 昨年に比べ梅の開花は遅いようだが、雪を渡ってくる風に、少し温かさを感じ始める。
 そして今日は根雪の間からフキノトウを見つけた。
 雪が「空からの手紙」で「思い出」ならフキノトウは「大地からの手紙」で「希望」だろうか。
 厳しい冬ほど、この希望の手紙は嬉しい。待ち焦がれた手紙だ。
 そして、昨今囁かれる異常気象は「宇宙からの警告の手紙」かもしれないと思う。
 
 空からの手紙も大地の手紙も優しさ、希望をくれる。大事にしたい。
 それだけに、もし「宇宙からの警告の手紙」なら、そしてそれが人智で防げるものなら、
 防ぐことをみんなで、地球でしていかねばならないとせつに思う。






・・・31

















(涙粒のようなコブシの蕾が一杯です)・・・2008.01 京都新聞 「窓」投稿掲載

 近くの公園のコブシの木が、暖冬のせいか、例年に見ないほど蕾で覆われている。
 蕾が銀の涙粒で覆われているように見える。遠くから見ると白い梅の花が満開なのかと思うほどだ。
 雨の日は、大きな涙粒が銀色に光って、雨滴のように見える。
 この涙粒の蕾が全部花開くときはさぞ見事だろうと楽しみだ。

 涙粒といえば、ヒラリー・クリントン氏が涙を見せ予備選挙を巻き返したらしい。
 涙の効用は21世紀にも通用するのだろうか。昔は女の武器に涙があった。
 「女の涙には勝てない」といわれた。それはウソ泣きでも、かなり効力を発したのだろうか。
 そして、最近は女だけでなく男もよく泣く。
 テレビの画面で謝罪するのに簡単に涙をにじませ、頭を下げる図を毎日のように見るようになった。
 泣きたい時になく。それは人間性が溢れるとも言われるが、涙の影響力があると計算しての涙なら許せない。
 泣いても良い。しかし、ウソ泣きはして欲しくない。
 泣く事が寛容になった社会がはたして優しくなったのだろうか。
 そんなことを疑問に思いながら、コブシの蕾をみあげる。この蕾は裏切る事がない。
 蕾は全部花となる。清々しい涙粒だと思う。 



TAKESANからお借りしました
京都 光明院 19.12月

日本の心 
吉野窓からの日本庭園
コブシの花満開の春・・・
移ろう季節が
日本の心を育ててきたように思います



・・・30      



















 (待つ心)・・・2008.1.18

 暖かい、暑いぐらいである。
 先日七草を摘みに野にでたが、ナズナの大きいのに驚いた。
 土手にはタンポポが返り花とは思えないほど咲いていた。ハコベも沢山花をつけていた。
 一瞬「今季節はいつ?」などと思い、マフラーを外した。
 暖かいのは嬉しい。
 生活がし易い。
 高い灯油も助かる。が、冬にこれほど暖かいと、贅沢だが春を待ちわび、
 ひたすら耐えて待つ我慢があっての春を慕う気持が薄らぐように思える。
 雪に閉ざされ、それを堪えてこそ、雪解けが待ち遠しく嬉しく喜びが爆発するように感じる芽吹きだった。
 最近の人は我慢が足らない。こらえ性がないと言う。
 地球温暖化はヒヨットシテ、事象だけでなく、人の心からも「待つ」「辛抱する」ことの大事さを奪うのかもしれない。
 雪が相変らず多い地方もある。
 しかし、こちらは、例年なら身を切るような寒気の中に白い比良山を見、それに神々しさを感じたものだが、
 黒い影を浮かばせているだけだ。
 寒いのは嫌いだ。
 だけど、なんだか冬の辛さを(それはいま思うと楽しみでもあった)知らないと我慢の気持もますます薄らぐようで、
 地球温暖化は「心の問題」でもあるようなと、暖かさに浮かれて思ってしまった。


       

             あかずきんさんからお借りしました
         但馬 如月
          (香美町 木の殿堂付近)


           冬は冬らしく・・・寒いですが 
          その時間の長かった分 
        春待つl心は きっと
         ヌクヌクになるはずです

                             冬の月   木恭造詩集「まるめろ」より

                                かが  ぷたら  おもで
                                嬶ごど毆いで戸外れば

                                まんどろだお月様
                                ふい    あど   ふぎ
                                吹雪だ後の吹溜こいで
                                 どさ         
                                何處ぐどもなぐ俺て来た
                                              にぐ
                                −−したてあたら憎ぐなるのだべ
                                にぐ     めご
                                憎がるの愛がるより本気なるも
                                        めご
                                そして今まだ愛いど思ふのアドしたごどだ
                                        ふぎ  おんな
                                あゝ みんな吹雪ど同しせ過ぎでしまれば

                                まんどろだお月様だ

 
                                  <木恭造・・・方言詩人>
  


・・・29














(斬新な美術館芸術に触れる) ・・・ 上杉 和子
                  京都新聞 「窓」 投稿掲載 
2007.11.16

 先日守山市の佐川美術館へ行った。

 日本画家の平山郁夫画伯と彫刻家の佐藤忠良氏の作品が常設されているが、
 新に水庭を思わせる展示館が加わり、15代楽吉衛門の作品が展覧されていた。
 地下に下りていくと入り口があった。
 薄暗い中にわずかに漏れる光を見上げると、水のきらめきが見えた。
 その斬新な作り方に驚いた。
 ライトと鏡の効果、暗の効果に驚いた。幽玄の世界に放り込まれた。
 
 第一展示室のテーマは「守破離の宇宙」で守破離という言葉は
 千利休の「きく作法守りつくして破るとも離るるとても本を忘るな」から来ているという。
 「昼の航海、夜の航海」など部屋ごとにテーマが掲げられ、
 茶碗が並べられているのもよかった。
 この地下の館にはお茶室もあった。
 いつかここでお茶会も行なわれるのだろうか。
 楽茶碗で一服できる機会があるのだろうか。
 そんなふうに夢がどんどん広がる美術館だった。
 ひなびた郊外で、このような文化の薫りを味わえるのがとてもうれしかった。



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 (花だより、心だより)・・・2007.4.21
 「桜だより」も満開や散り初めが多くなってきた。 人は、花の咲き具合、お天気を気にする。
 しかし、花粉問題も、お天気も、咲き具合も、人込みも、トイレも気にしないで、室内五十平方メートルに
 本の桜の造花を咲かせ、青いシート、ござを敷き詰めテーブルはビールケースの「室内お花見」 が人気だという。
 オフイス街の貸し会議室業が夜間の稼働率向上のため練りだしたアイデァらしい。
 新入社員が花見の場所取りをする必要もないし花見の日程を好きに決められるのが大好評と言う。
 青空も、花見堤燈、ぼんぼりも灯され本物の花見と少しも変わらないという。
 「花」の楽しみ方が変化して来たようだ。

 それとは異なり、私は日本一と言う吉野の桜を一度見たいと、先日遠出をして来た。
 そこで、世界遺産吉野山の吉水神社の宮司さんが、「人の欲望は限りがない。
 今日の桜が最高だと思える事が幸せです」と語っておられた。
 私は花の一番綺麗な時を見たいとハラハラワクワクし、花見の日程を気にする。
 しかし、「出会った今日の桜が最高だ」と言われ、その教えに頭が下がった。
 雨日だって、蕾だって散り初めだって、出会ったその今日が最高。
 そう思える自然の大きさや慈しみ愛しさを教えられて帰宅した。
 そして、花見は花を見ることだけでなく、こういう「心」をも育てることではないかと思った。
 それからいくと、先の「室内花見」にも心を育てることはあるのだろうか。
 新入社員の研修親睦に「室内花見」が大盛況との事だが、心の教育も出来るのだろうかとふと思った

kuma3さんからお借りしました
16.5月

丹沢の川のよどみに山桜の花びらがクルクル。。。(kuma3さんの言葉)

其の言葉を戴いて・・おそまつ言葉遊び
花散らし水面に咲きて再びの 生命流るる季のまにまに
(kuma3さんのHPにて・・・【山紀行 B.丹沢とその周辺の山】にその時のご案内があります)


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(土つきの野菜今は懐かしく) ・・・ 上杉 和子
                  京都新聞 「窓」 投稿掲載 
2007.01.27

 子供のころ、凍てるような冷たさで、泥つきの冬野菜を洗う手伝いは辛かった。
 霜焼けも出来た。
 今は店先で泥付き野菜をあまりみかけない。
 それどころか天候に左右される事なく地下の工場で、
 土を使わずに野菜の根に直接養分を与える水耕栽培がなされ、
 衛生環境は無菌に近く、農薬を一切使用せずに作られる「サプリメント野菜」もある。
 土も虫も無縁である。
 そしてまたビルの屋上では、温暖化防止やヒートアイランド現象緩和に太陽に近く人工軽量土で野菜が作られる。
 <天空と地下>で野菜がつくられるのだ。

 学校帰りの北風の中を僅かの陽光を受けて、冬耕するお爺さんの振り上げる
 「キラリ」と光る鍬がまぶしく面白く見とれていた。
 春を迎えるころには、田畑に小さい可愛い野菜の芽が並んでいるのを見つけた。
 そして青虫を見つけ、蝶が飛ぶ。
 夏には夏野菜を、冬には冬野菜を、それは体のメカニズムニ合っていると教え られた。
 いま、季節に関係なく野菜も果物も食べられる、土も付いていない。
 懐古趣味ではないけれど、時々あの泥付き野菜が懐かしくなる。
 天空でも地下でもない人間がしっかり足を踏ん張る<地上、大地、土>で作られる野菜は
 これからどこに行くのだろうか。
 野菜も人間も社会もまるでサプリメント(補給)だけになっていく のだろうか。
 そんなことを大根を煮ながらふと考える。



kuma3さんからお借りしました
     17.3月 

お住まいのところから近い山の
梅の樹の下に咲いて春を告げていたようです
地面に顔を近づけてみたら・・・
草の下から何か聞こえてくるかもしれませんね
どこかで 春が 生まれてる〜〜♪



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(赤いゴーヤ・・その1)・・・2006.11.23

 奈良の八木町の家は「ウナギの寝床」と言われる町屋で奥に長かった。
 叔父の商う八百屋の野菜が表通りの道に面して並ぶ。その奥へ暖簾を開けて進むと土間が走り、
 そのまだ奥に進むと天井が切り取られ、空と雲が流れていた。そこには井戸や竈がある。
 井戸に大きなスイカが浮いている。夕方にスイカが割られ、近所の人たちが集まり四方山話を始める。
 子供たちは大人にせがんで、怖い話を聞くのだ。しかし、怖い話を聞いた後は、便所へ行くのが恐かった。
 便所は井戸の先のまだ奥に闇に溶けるようにあり、シュロの木が植わっていた。
 シュロの葉が動くと、それは飛び上がるほど恐かった。
 それだけではない。便所のむこうに明かりが見え、「魔法使いのお婆さん」の家があった。
 離れと呼ばれていて表の辻から、裏の辻までの長い長い地続きの一番奥、(裏の辻から見ると、一番の表口になるが)
 そこにお婆さんが一人で住んでいた。お婆さんはみんながスイカを食べていても姿を現わさない。
 見かけるのは私が便所に行った時だけ。
 お婆さんは大きな箒を持って黒っぽい服を着、それは恐い顔をして掃除をしていた。
 大人たちが「あの人は、本土の人ではない」と言う。
 「本土?」私は意味が分からず、違う世界の童話に出て来る魔法使いのお婆さんだとばかり思っていた。

 友達の家に遊びに行くには大きな犬の前を通らなければならない。
 お婆さんの家を抜ければ近道の上に、恐い犬に唸られることもない。こっそりお婆さんの家を通り抜けていた。
 通り抜けに見る家の中は、綺麗な家具に溢れ色鮮やかな服が掛っていて、
 箪笥の上には、笑顔の溢れる多数の人の写真と、
 目を見張るような西洋人形が置いてあった。それが不思議でお婆さんは「絶対に魔法使いだ」とまたも確信していた。
 通り抜ける時、「赤いキュウリ」のようなものが風に揺れているのを見つけた。
 それは店の八百屋に並んでいないものだった。
 遊び呆けて帰る、通り抜けに見る夕方時の赤やオレンジ色は、夕焼が落ちたように綺麗で、
 私は不思議な思いで眺めていた。
 そのうち、通り抜けをしていることが家人に見つかり、「もう絶対に通り抜けません」と約束をさせられた。

      ◇◇   ◇◇  ◇◇   ◇◇  ◇◇  ◇◇  ◇◇  ◇◇  ◇◇  ◇◇

(赤いゴーヤ・・その2)・・・2006.11.23

 夕立の前触れか、「ぽつんぽつん」と頬に雨が当たる。私は濡れるのが厭なので、約束を破って近道をしたかった。
 「一気に抜けてしまおうか」「いや約束をした」と迷っていた。
 突然風のように家の中からお婆さんが出てきて私を家の中に引っ張りこんだ。

 「ゴメン。もう通りません」謝る私に、お婆さんは恐い顔のまま黙って、
 小さな木のスプーンとあの「赤いキュウリ」をお皿に載せて渡した。
 中から赤い血の塊のようなものが見えた。私は恐かった。「魔法使いに私は食べられる!」。
 足が震え渡されたお皿を持つ手も震えた。その時、お婆さんが「恐くないよ。美味しいから、お食べ」と、
 少しだけ笑って言った。
 言われるままに恐る恐る食べてみると、木のスプーンの匂いと、赤いものは不思議な味がした。
 魔法のような味がした。「雨が降りそうだったから、みんな採ってしまったのさ。
 沢山あるからもっとお食べ」と前よりも優しく笑って言う。
 私はお婆さんが「どうして雨が降る」と分かるのか不思議で、「魔法で雨が降ることが分かるの?」と聞くと
 「アハハ。空が曇ってくりゃ雨は降るさ」と大笑いする。笑い声が家中に響き、その後に大きな静寂が来た。

 私は西洋人形をじっと見ていた。それに気付いたお婆さんが、「あれは娘さ」と言う。私は又恐くなった。
 「私も人形に変えられる。赤い血の塊も食べてしまった。ここは、やっぱり魔法使いの家だ」
 と悟って、大声で泣き出した。
 するとお婆さんが、ひょいと私を抱き上げ、「ほら!見てごらん」と木のスプーンで大きな円を描いて窓を指差した。
 なんと!そこには大きな大きな虹が出ていた。私はびっくりした。お婆さんが振ったスプーンから虹が出た。
 私は泣く事も忘れて「ぽか〜ん」と見ていた。恐いけれどお婆さんの体は温かかった。
 お婆さんは、「ほら、もう雨はあがったからお帰り。いつでもここを通って良いからね」と頬擦りをして私を降ろしてくれた。
 それからまもなく私たちは八木町を引っ越した。お婆さんの家を、大手を振って通ることはなかった。

 大きくなり「本土」と言う言葉を知り、お婆さんは沖縄の人だと気がついた。しかし、記憶は靄に包まれたまま。
 本当に「赤いキュウリ」と「魔法使いのお婆さん」は実在したのだろうか…。
 この夏、ゴーヤが赤くなると裂けて、中に真っ赤なゼリー状に包また血糊のような種子があり、
 「食べられる!」ことを知った。
 ざわざわ揺れる緑の繁みの中に、太陽を丸ごと吸い取ったような真っ赤なゴーヤがある。
 大きく裂けた口からドローリと赤いゼリー状に包まれた実が見える。
 食べると仄かな優しい甘さが口に広がる。あの時と同じ魔法の味だった。
 「赤いキュウリ」は沖縄から大事に持って来られ、沖縄の夕焼けを思い日本の夕焼けを吸って赤くなっていたのだ。
 その種子が、今のゴーヤブームに広がったのかもしれない。
 「魔法使いのお婆さんは本当に居たのだから」と私は思っている。

この赤いゴーヤのお話は
上杉さんのブログに素敵な絵と共に掲載されています




・・・25















(「思い出」まで捨てないでね) ・・・ 上杉 和子
                  京都新聞 「窓」 投稿掲載 
2004.4.6

 年に四回、大型ごみ回収の日がある。
 春の回収日、陽光を受けていろいろな物が集積場所に山と積まれていた。
 「不景気だといってもごみに出される物はいっぱいあるんだ」と感心する。
 私のオンボロ自転車より立派なのがあり拾ってきた。

 素敵なマホガニーの家具が目についた。
 引っ張り出すと、「○○ちゃんに48年○月おばあちゃんより」と書かれたベビーいすだ。
 それを見て胸が「ジーン」っときた。
 きっとおばあさんからお孫さんにプレゼントされたものだろう。
 「48年」となっているから、そのお孫さんには子供がいるかもしれない。
 おられたらその子に十分使えるほど、しっかりしていた。
 どうして捨てられたのか?ごみだから・・・大型ごみなんだ・・・でもなぜかわびしい。

 自転車を見つけた喜びもしぼむような気がした。ぜんぜん壊れておらず、りっぱないすだ。
 「あー!おばあちゃんが捨てられている!」一瞬そんな気持ちになった
 ごみを捨てるにも、心にもそれぞれ事情があるだろうが「ばあちゃんが捨てられてる」と寂びしかった。
 集積車で粉々にされるのが忍びなく、名前が入っているので、もしかして持ち主が「返して」と
 来てくれたらよいのにと、はかない夢を抱きつつ、ずいぶん悩み持ち帰った。
 

<思い出を育てるこころ> 大事にしていきたいですね
物を捨てるのは簡単ですが
こころも一緒に捨てないで欲しいですね
物にもいのちがあるのですから・・・。

詩人サトウハチローさん
おかあさんに繋がる思い出話は
沢山あるようですが
こんなこともあったそうです


*************************************

少年のころのプロテクターは母ハルのお手製だった
外側は革でなく湯上がりタオル、
芯(しん)は弟妹たちのおしめ、
締めるひもは母親の腰ひも製。
「雨もよいの日などは、思いなしのせいか、
芯のおしめのなんとも言えない涙ぐましい匂(にお)いが、
あごからマスクの中へと流れ込んできた」(随筆「落第坊主」)という

いささかありがた迷惑でもハチローは胸が弱い、
球を当てて肺病にでもなられてはと、
初めは野球に反対だったハルが与えたから愛用せずにいられなかった
ハチローの母子関係を物語るほほ笑ましい逸話の一つ。

落第、転校を繰り返し「母よゆるしたまえ」という負い目が、
後に星の数ほどの母の詩を生んだ。

***********2006.10.26 岩手日報 コラムより抜粋************




・・・24

            
    
   



                                





      
(月夜に決めた小さな旅立ち) ・・・ 上杉 和子
                  京都新聞 「窓」 投稿掲載 
2003.09.17


 今年の十五夜は雲が厚かった。京都府立植物園で「ホンマモンの月見草」がさいているという。
 月の明りに照らせれる植物園の花々を見たいと以前から思っていた。
 一人で見に出かけた。もう一つの決意もあったのだ。
 どこに行くにも、家人や知人と連れ立って行く。
 これは日程が合わなかったり、待たせたり待ったり、楽しいけれど疲れることが多い。
 「一人で行動する」人、の投稿を読んで、私はそれに憧れ、
 年齢を重ねれば何事にも自立しなければいけないとかねがね思っていた。
 一人で「楽しんでいけるように慣らさねばと・・・。
 月見は夜遊びだ。切符を握り締め少し緊張してJR、地下鉄と乗り継ぎ植物園の観月会に行った。
 一五夜の小さな旅立ちの決意は成功。知らない人同士で月が雲間に隠れたり出たりを、同時に見る。
 同じ空を眺めている連帯感。
 一人で出かけたけれど一人ではない。そんなことを教えてくれる。
 月を見るのは小さい小さい自分を確認しているようだ。
 今年は空を見上げる機会をたくさん授かった。そして人は一人ではないが一人で立つことも大事と思った。
 竹灯火を思い出しながら、無事家に帰り着き、もう一度月を見た。雲が切れ、月が見えた。
 月は小さい旅立ちを喜んでくれるように照らしてくれた。






・・・23
 








  































































(梅干・・その1)・・・2006.7.22  

 <「鱧まつり」 白川 淑
 チンッ 盃をあてる/──おかえりやす/──殺し文句だね/──言葉だけで このひとは殺せないのに
 宵山の お囃子が/鴨川(かわ)をわたり 雑踏(ひと)をぬけてくる/
 ──祇園まつりのことを 鱧(はも)まつりとも言いますのぇ
 湯引きした鱧に梅肉がちょぼっとのっている
 ──おいしいね/
 とろけそうな男の唇(くちびる)/さらりと湯をくぐってきた白い肌が/青紫蘇の上にまるく蹲っている
 ツンッ 鼻を撫でる梅のにおい/
 京では 鱧の落とし と呼んでいる/──おまつりの一番 のごっつおぅどすね
 氷の器が 灯りを掬っている/男の箸があたると そこだけ溶けて凹む
 ──うちかて 紅い梅持ってますしぃ/
 隠しぼくろのことなど 喋ってはいけないのに/言葉 だけで このひとは殺せないので
 百の骨を 剪りきざんでほしい/白い身を 湯あらいしてほしい/そして お味見してほしい /とは言えないけれど
 ──もし おうちが板場はんどしたら/うち 鱧になりとうおすぅ……
 言葉やわらかに このひとを殺したい>


 いやあ〜、なんとも色っぽい詩である。京言葉(詩)に、ドキドキしてくる。
 「うちかて 紅い梅持ってますしぃ」なぁ〜んて ゆうてみとぉすなぁ〜。
 しかし、紅い梅は梅でも「梅干」の話である。

 今夏は、土用に入ってもいっこうに梅雨明けの気配がなく、「大暑」を蒸し暑い<梅雨の 晴れ間>で迎えた。
 例年なら蝉が喧しく鳴き、それに合わせる様に一つ二つと涌き出る玉の汗を拭いながらの、
 私の<一大夏のイベント>が始まっているはずなのに・・・。

 手帳を繰って思案する。7月23日(土用の丑)。横に大きく梅干色で「梅干を干す事」と記入されている。
 「この前後は外出を控えるように」と言う私の覚書だ。
 時ならぬ夕立に、洗濯物が水を滴らそうと、開けて置いた窓から容赦なく吹き込み家具を濡らそうと、
 それはなんとかフォローは出来る。しかし<土用干し>の梅干を濡らす事は出来ない。
 梅干は三日三晩、昼はギラギラ照りつける太陽に抱かれ、夜は夜露に優しく濡れる。
 そしてまろやかな梅干が出来るのだ。
 「土用の丑」の前後三日間は年休をとり、腕まくりをして外出を控えている。
 まろやかな梅干は鱧になれずとも、「鱧に梅肉がちょぼっとのっている」。
 また、鱧と争って「青紫蘇の上にまるく蹲っている」。無くてはならない脇役だ。
 外出を控えても余り有るイベントだ。

 白い梅酢に塩もみを済ませ、アクを出した赤紫蘇を入れる。一かきかき回すと「サァー」と広がる赤い色。
 この一瞬がなんとも楽しい。かき混ざる手のひらまでが赤く染まる。
 アントシアニンのシソニン色素がpHによって 鮮やかな赤色になる化学反応と分かってはいても、
 いつもいつもこの一瞬は神秘的だ。「よろしぃおすなあ〜」。つい京言葉になる時でもある。
 私は主婦になったらやってみたいと思うことがいくつか有った。その一つが梅干つくり。
 昔、祖母が梅干を作っていた。
 横でそれを見るのは楽しかったが(梅干は酸っぱくって嫌いだったが)「失敗すると黴が生え、黴が生えると、
 その年は家族に良くない事が起こるから」と、
 遊び惚けて泥だらけになっている私はあまり傍に立たせてもらえなかった。

          ◇◇   ◇◇  ◇◇   ◇◇  ◇◇  ◇◇

(梅干・・その2)・・・2006.7.22  

 新築の庭には梅を植えた。
 娘の出産祝いには、実家が植木屋さんと言う主人の同僚の方から、りっぱな梅の苗木を頂いた。
 夜店で100円の値札のついた小さい苗を買うとそれは八重咲きの梅で、
 後日大きな梅の実をつける木に育った。梅の実は、ご近所にも分けるほどに実った。
 梅干しのレシピに首ぴっきだった私も、いつしか目分量で塩の加減、重しの加減が出来るようになった。

 しかし、梅の木も寿命があるのか、娘の梅は(出産時に頂いた梅の木をそう呼んでいた)
 三年程前に枯れた。
 変わりの苗木を購入して植えたが、実はチラホラにしかつけない。
 他の木もだんだん実付きが悪くなってくる。
 それは減って行く同居人の数と上手く歩調が合っているようだ。
 梅干ばあさんの体力にも歩調を合わせている様だ。
 自家栽培の梅で梅干を作れると言う贅沢さに(他に贅沢を持たない)今年も恵まれた。
 しかし、今年の土用干しはどうしたらよいのか。私は思案する。

 「夏が来てもらわんと困りますなぁ〜。意地悪せんといておくれやす」と手帳を閉じたり
 開いたり、梅雨空を眺めている。
 人も自然も天候も変わりつつある。

     <梅干の歌>・・・注

    二月・三月花ざかり
  
    五月・六月実が成れば
  
    七月・八月暑いころ

    九月・十月秋の日々
  
    十一月・十二この月に
  
    正月元旦年明けて
        私は樽の中より
             おめでとう

 とても良い歌を見つけた。
 (この歌は祖母が家事をしている時にいつも軽く口ずさんでいたのです。
  私はそれを見ながら、歌いやすい所だけを真似していました。
  考えてみると、祖母はいつも動いていました。
  あまり今みたいに便利な生活じゃなかったのですね)
 とコメントされ、 結びに
 (わらべ歌は生活の営みを思い出すかのように、そして忘れてはいけない大切なことを戒めるように・・・)
 と書かれていた。

 そうよね。
 人も自然も天候も変わりつつある。
 でも、いろんな事が変わっても、守っていきたいものがある。
 赤く染まった梅干は紫蘇の香りをただよわせ眠っている。
 これにお日様の匂いを加えなければいけない。
 昨年の梅干の種を口に含み何回も思案して、手帳を繰っている。

・・・注・・・ <梅干の歌>は 当HPの思い出の歌に掲載しています



・・・22


  







 










(励ましだった鳥のさえずり) ・・・ 上杉 和子
                  京都新聞 「窓」 投稿掲載 
2006.06.22

 先日家の中に小鳥が入ってきた。
 外へ出て行けるように家中の窓を開けて用をなしていた。
 数時間後、外のひさしの物干しざおに普段止まっていたことのないメジロが二羽、
 盛んにさえずっているのに気付いた。
 「?」と思い眺めていたが、それに混じって家の中からも小さい鳥の鳴き声が聞こえる。
 飛び込んできた小鳥がまだ家の中に居るのかと探すがどこにも見えない。
 どうも鴨居の中から聞こえてくる。のぞいてみると鴨居の溝にはまっていた。
 急いで脚立を出し、救い出す。
 拾い上げ小鳥が飛び出すと同時に、ひさしのさおに止まっていたメジロも一緒になって 飛び立った。
 驚いた。
 あれはメジロの両親だったのか。
 「出れなくなった子メジロを励ましていたのだ。」と気が付いた。

 これまでは、鳥の鳴き声はさえずりと思っていた。
 しかしこの出来事があって以来、当たり前かもしれないが、鳥たちの日常のおしゃべり で、言葉だと思えた。
 鳥たちはコミニケーションを持ち、ちゃんと親子の情があり、人間と同じだと思った。
 ところが最近、鳥にも劣る情愛の欠落と思える事件のなんと多いことか。
 鳥たちは、きっとそういうこともさえずり合っているのだろうか・・・。



マサニイさんからお借りしました



・・・21
















(早苗を守る大きな足跡)・・・2006.6.13

 曲がった苗の田んぼがある。曲がった間を縫って水澄ましが泳いでいる。
 昔は、ウノハナが満開になった頃、(花びらがほろほろと水田に落ちる頃)
 腰を屈めて一列に並んで一本々苗が植えられた。

 地元の春祭りは5月連休に「泥田祭り」と言われよく雨が降る。
 雨が降れば降るほど田に水が満たされ豊作を祈り祭りが終る。
 終ると一斉に田植えが始まった。
 玉苗の準備か、早苗籠の積まれた軽トラックが、連休の渋滞している国道の車列に加わっているときも
 あった。
 それがいまや連休前にはもう田植えは終わっている。
 そして梅雨の6月には、早苗はかなり力強くなっている。
 梅雨と田植えの季節感は変わった。

 田植えも機械化され短時間で終わり、すぐ次の田に移動していくシステムが組まれていると聞く。
 腰を「トントン」叩きながらホトトギスの声を聞き、ウノハナをながめての田植えはなくなった様だ。
 真直ぐ苗が並ぶ奇麗な水田の中に、ときたま早苗の両脇に大きな足跡が並らんでいる田がある。
 これは手植えをされた水田だ。
 泥田に苗と並んだ大きな足跡はその後、青々と育った苗で見えなくなるが、
 その下にはずうと苗を見守っている足型が有る。
 そう思うとなぜか「ホッ」と嬉しくなる。植えてしまえばどれも一緒だが、
 この足跡も残しておいて欲しいと思う。日本の原風景が残されていると思うから。
 曲がっている田に八十八の米作りを思い起こし「美味しいお米になれよ」と声をかける




・・・20

 (その1)

    





















































(鳩笛とオカリナ 1) ・・・2006.4.12 

   童話「廃跡のさくら」木村徳太郎作
     毎日小学生新聞・昭和二十四年五月六日掲載

 むらさき色にかすんでいる夜でした。
 焼け跡に、いっぽんのさくらの木が匂っていました。
 そのさくらの木のてっぺんに、まるいつきがかかっているのを、ひとりの男が、
 ぽつねんと見上げるようにして立っていましたが、
 「ああ、美しい花をつけているなあ。」
 とつぶやくように言うと、さくらの木の根っこに、腰をおろしました。

 その男の人は、遠い外地に戦争に行って、何年ぶりかで内地に帰って来た人でありました。
 腰をおろすと、何年か暮らしてきた外地の苦しかったことや、楽しかったことや、さまざまなことが、
 赤い色や青い色の糸で作った、まりの糸をころころとほどいていくように、
 つぎからつぎへと思い出が、心の中にうかんできました。が、いつとはなく、
 七色の「にじ」のようにあざやかな一つの思い出が、その男の人の心をすっぽりとつつんでしまいました。
 それは、_ 遠い外地で苦しい戦争をしているときでありました。雪子さんと言う少女から、
 慰問の便りをいただいて、それがきっかけとなって、いつとはなく、自分の妹のように、
 懐かしくおもうようになったのでありました。

 そのようにして、何年か過ぎ去ったある時、男の人は、
 もう少しでお役がすんで、内地に帰れるかも知れないという便りを出しました。
 その返事に、雪子さんから小包がとどきました。
 中をあけてみると、いろいろな品物にまじって、
 ほんとうのはとかとおもわれるような、かわいいおもちゃのはと笛が出てきました。
 それに、そえられた便りには「今度雪子も女学校に通うようになりましたので、
 幸せに勉強がつづけられますように、
 平和のしるしのはとをかたどった笛をおくります。
 兵隊さんもおげんきで、一日も早く不幸な、戦争が終って、
 世界の人々が平和になれますように祈ってください」と、かかれてありました。
 服のポケットに、たいせつにはと笛をしまって男の人は、それからは、いそがしいさいちゅうでも、
 少しひまができると、雪子さんの願いを忘れないために、はと笛を吹いたり、一日も早く内地に帰へって、
 やさしい雪子さんに一度あって、おせわになったおれいをもうしたいものだと考えつづけておりました。

 そのうちに、あれほど勝つといわれていた戦争も負けて、男の人は、
 内地にかえれなくなったのであります。
 それから、何年かすぎて、無事に外地から帰って来ると、やさしい雪子さんにあって、
 ぜひお礼をもうしたいものと、手紙で知っていた雪子さんのところをたずねてみたのでありましたが、
 はげしい空襲(くうしゅう)で、雪子さんはどこに行ったのか、少しもわかりませんでした。 _
 
 男の人は、いろんな苦しい目に幾度もあいましたが、こうして不思議に内地に帰ってこられたのも、
 雪子さんが、一日も早く平和がきますようにといって、送ってくれたこのはと笛が、
 自分を守っていてくれたように思われました。
 そう思うと、なおさら雪子さんにあってお礼を申したいものだと思いましたが、
 すっかり焼けてしまったこの付近には、たずねる人もなく、雪子さんにもあえそうにも思われませんでした。
 それで、男の人は、この付近に住んでいたころには、きっと雪子さんも、
 このさくらの木をながめたことであろうと、雪子さんの姿を心のなかにえがいて
 「どうか、雪子さんも、無事でありますように。」
 と、ポケットから、はと笛を取り出すと、桜の木の下で、「ホウ、ホウ、ホウ・・・。」と吹きはじめました。
 
 静かなはと笛の音は、焼け跡の夜に、いつまでもしずかにひびいていました。
 男の人の思いをこめた、はと笛の音に、さくらの花びらも、ひらひらとしずかにまい落ちました。
 月夜のさくらの木の根っこに腰をおろして、はと笛を吹いている男の人の目からも、
 涙がほろほろとおちたようでありました。(おわり)


               〜 その2につづきます 〜

        

         山の思い出  朝日賢一さんからお借りしました 
          2000年4月 姫路城にて撮影された作品
 
    (春夢幻)
 

・・・20

(その2)



































































(鳩笛とオカリナ 2) ・・・2006.4.12

 平成一八年の春です。お話の五十七年前と同じように、さくらの花びらがひらひらと静かに舞い落ちていました。
 桜並木は、薄ピンク色のたなびく雲のようで、そのうしろの大きな湖に浮かぶヨットが、
 桜色の雲のあいだをちらちらと進んで行きました。
 やなぎの木も優しい、うす緑色のリボンのようにゆれていました。
 
 窓から湖をながめて、オカリナ教室があります。
 オカリナ教室の先生は、外を眺めては少しぼんやりしています。
 この時季はオカリナの音(ね)が風になり、桜の花びらをひらひらとさせているように思うからです。
 
 突然、教室に電話がなりました。
 「見学者の方が行きますから、よろしくお願いします」カルチャーセンターの、事務所のお姉さんの電話でした。
 電話中に、おばあさんが、肩に桜の花びらを乗せて入ってきました。
 先生は、外の桜の花びらが見学に来てくれたのかと、びっくりしました。
 おばあさんは「土で出来ているオカリナの教室なら、わかるかと思いまして」
 「ずいぶん、いろいろまわっているのですが、どの教室でも断わられまして」と、
 桜色のハンカチから小さな土笛をだしてきました。
 「孫が外国旅行の土産に買ってきてくれたのですが、
 あまりにかわいいし、飾って置くだけではもったいなくって、
 これで曲を吹くことが出来ないかと思うのですが」と花びらがひらひら落ちるような小さい声で言いました。
 先生が、ハンカチごと手にのせてみると、それは、鳩の形をしていて、目がくりくりと可愛く描かれ、
 背中に穴が四つ、お腹に二つの穴がありました。
 オカリナは、十二の穴と歌口があります。
 ほかの生徒さんたちもめずらしそうに先生とおばあさんの周りに集まってきました。
 「これ、鳩笛じゃないんですか。」
 「曲は、吹けるのかな〜。」
 「鳩笛は背中に穴はないよ。」
 「これ鳩笛よ。ぜったい。」
 みんなが、わいわいがやがや騒ぐなかを先生は、「かわいいお目目ね」と言いながら、
 六つの穴を指でふさいだり、開けたりしています。
 そして、しばらくすると鳩のかわいいくちばしに、「チュッ」と先生はキスをして吹きはじめました。

 「さくら」のメロデイが流れました。
 
 みんなは、大喜びで大喝さい。
 みんなで「さくら、さくら、弥生の空は」と大合唱が始まりました。
 その声に桜の花びらも、合わせるようにひらひらと流れていきました。
 おばあさんは涙を流してすぐに、「教室の入会手続きをとりたい」と言いました。
 オカリナの先生は、鳩笛を教えた事はありませんでしたから少し困りました。
 「オカリナじゃないですが、みなさん、ご一緒していただいても良いですか」と聞くと、
 「いいですよ。いいですよ。みんな仲良く楽しみましょうよ」と拍手が響きました。
 「鳩笛は、背中におんぶされてお祭りの時、出店で買ってもらったわ」
 「温泉旅行にはじめて連れて行ってもらって買ったよ」
 「子供のごろの、懐かしいおもちゃね」
 鳩笛の思い出が次々とでて、教室は賑やかになりました。

 おばあさんが静かに話しはじめました。
 「私たちの女学校時代は、戦争中で音楽に接することがありませんでした。
 だから、いまこうして、音楽や楽器にふれられることは嬉しくって・・・。
 たとえ土笛でも、音の出るものに懐かしさと元気を覚えます」
 「戦争中には、慰問袋(みなさんはごぞんじないでしょうが、
 戦地の兵隊さんたちに、いろんなものをお手紙と一緒に袋に入れて送るんです。)
 その袋に、鳩笛を入れて送くったことがありますよ」と懐かしむように言われました。
 そのあとは、厳しく「戦争は厭ですね。こうして和やかに桜の花を見ながら、
 笛を吹けるのは平和で幸せなことです。
 ずうと、この平和があって欲しいものですね。」
 みんなも、大きくこっくりと頷きました。
 
 先生は、「ふっと」なんとなく出されたばかりのおばあさんの入会届に目をやりました。
    <七十九才。伊藤雪子。>
 「その慰問袋を送られた兵隊さんたちはどうなされたのでしょうね。」
 「ご無事で、みなさん戦地から帰えられたと思いますよ。
 でもたくさんの人たちが、戦争で亡くなりましたからどうなされたのか」と、
 悲しそうに桜の花に目をむけられました。
 「兵隊さんは生まれてくる女の子に平和を願って「和子」と名前をつけると言っておられました。
 みんな平和を願っていた時代ですから」・・・。

 先生の目から涙が伝って行きました。
 先生の名前は「和子」そして「廃跡のさくら」の童話を書いたのは先生のお父さんでした。

上杉さんのお父様 木村徳太郎氏は児童文学者でした
詩作を初め童話・童謡もたくさん作られました
今 親子の会話として蘇った作品に
お客様からの思いが添えられました
お客様の溝口さんが
三好達治の「甃のうへ」(いしのうえ)を思い出され
上杉さんが引いて下さいました


甃のうへ<三好達治>

あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をもなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍みどりにうるほひ
廂々に
風鐸のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃のうへ

上杉さんが
ブログ(風にのって はなひとひら)を開設され
ご自身の作品とともに お父様の作品を掲載しています
無限に広がる自然・優しさをお楽しみ下さい


・・・19

  


















            

(春の野と孫の笑顔)
・・・ 2006.5.7

 タンポポとハルジオンで小さな花束を作り、孫の手に渡す。
 「ママにも上げてらっしゃい」ともう一つ花束を作る。
 輝くような笑顔で、小さい手に花束を二つ握り締め走って行く。
 ところが五、六歩を走るなり、
 急にクルリと向きをかえ真剣な顔をしてもどって来た。
 いぶかる私に、大きな声で「パパにも!」と言う。
 ママだけでなくパパにも花束を上げたいと思ったのだろう。
 私は愛おしさでいっぱいになった。
 みんなを思いやる素直な気持に感心し、すくすく育っていることに感謝した。

 人はみな、生まれながらにして優しさ、素直さをもっている。
 もうすぐ孫はお兄ちゃんになる。「赤ちゃんにも」と花束をせがむのだろう。
 いつまでもこの優しさを失わないで雑草の如くすくすくと育っていって欲しい。

 少し素直さを忘れかけているバアちゃんの心にも、
 孫が嬉しい心の花束をくれたようで春の野が眩しかった。
 バアちゃんも自分用に花束をつくった。チョウチョが花束に飛んでくる。
 花瓶を外に持ち出し花束を活けた。
 青い空をバックに素晴らしい構成の絵のように見えた。




・・・18 

 






























(ヤブツバキ)
 ・・・ 2006.4.2

  ヤブツバキが美しい。
  堅い蕾の先に紅の灯かりが見えると、
 包んでいた(がく)が、薄絹の緑の衣を脱ぐかのように
 艶かしくハラリと散り、八分咲きの蕾となる。
 そして妖艶な咲き誇りとなり、妖艶の香を残したまま
 潔く「ぽたり」と落花する。
 今年もぼつぼつと咲き出した。

  30年ほど前に土地開発で山が無くなるので、山から移植した。
 大きく育ち、実がつきこぼれ、それがまた育ち、
 5〜6本のヤブツバキが庭に並んでいる。
  弾けた後の実の形も面白く、クッキーの缶に入れて燻し、(お花墨)にする。
 艶々の緑の葉はツバキ餅に使う。
 1年を通して慰めてくれる。

  少女時代、神社の境内に
 ヤブツバキの大木があり落ち椿を糸に通して首飾りをつくった。
 小説「五弁の椿」も夢中で読んだ。そして、高校生のごろ、
 週刊誌の表紙を飾る「椿」の安達瞳子さんを見て
 その美しさに圧倒され凛とした美しさに憧れた。
 ヤブツバキには「好き」と、「憧れ」がつまっている。
 その安達瞳子さんが三月に六十九歳でなくなられた。
  
  もう一人ファンだった久世光彦さんも三月に七十歳で亡くなった。
 お二人とも、もっと年の離れた人だと思っていたのに、
 私とそう年が離れていないのだ。複雑な気持だ。
 一つの世代が消えるような寂しい気持になる。
 落ち椿に自分の来しかたも、のせ、
 寂しさを思う年になったのだ。

           

              shimadanobunbunさんからお借りしました

           玉之浦 (五島列島

 

・・・17
 


























































  コブシは伐られた

         随筆きょうと2005.春号(NO79) 上杉和子

  一陣の風が陽(ひ)を受けて、千両小判をまき散らすように、黄葉を落とす。
 そして隣家のカーポートに積もる。小判を取るか、隣家との「和」をとるか。
 三十年近く、私の歩みを見ていたコブシの木だ。「お母さんが死んだら、コブシ
 の木の下に埋めてね」と、新居に植えた。それにうなずいた子たちは、すでに巣
 立っている。しかし、私は、これからも、ここで生きて行かねばならない。

  ロープが掛けられ、地響きをたて、天空との垂直が横になり、「ズシン」と
 目に入りきらないほどの、大きな存在で横たわった。横たわった時から、大木は
 ゴミ。処分料がいる。邪魔にならない裏庭だ。時間をかけて木っ端にし、庭の土
 にすることにした。

  小春日、背を丸くして「トントン、コッツコッツ」。鉈(なた)で小さくしていく。
 花芽がたくさん付いている。銀毛で覆われた、ドロップのような塊は、私の涙粒
 のようだ。私は泣くまいと、ぐっとこらえる。
 すすりあげる鼻腔を、上品でふくよかなにおいが抜けていった。
  未練を残すまい。大きく鉈を振り下ろした。

  「結婚するから、二人で挨拶に行く」
  何事も無いように電話が掛かって来た。相手は私の知らない男性で、職場の後
 輩とか。そして妊娠しているとのこと。青天のへきれきとは、こういうことを言
 うのだろう。「トレンディ・ドラマの見すぎだ」「そんなもの、見るの嫌いや」
 「いいや、あんた TVの見すぎや」わけの分からない言い合いになり、荒々しく受
 話器を置く。
  そして布団をかぶってふて寝、夫の「それは二重にめでたい。オメデトウ」。
 明るい声が響いてくる。私は聞くまいと、ますます布団の中で身を縮める。頭の
 中は真っ白。順序が違う。それにどうして見も知らない男が、突然、現れるのか?
 トンビに油揚げをさらわれるとはこのことだ。
  娘は、郷里を離れて就職をした。こういうことが起こる可能性は、十分にあり
 得たのだ。「類まれなる星の下に生まれ、頭脳明晰、容色、金に恵まれ、健康。
 周囲が驚くような結婚をする」と、占いに出ていた自慢の娘。「驚くような結婚?」
 大当たりだ。私は舌打ちをした。
 訪問した男性に、私は難癖をつけたように思う。したり顔で二人を祝福する夫
 にも、腹が立つ。目をむいたままだった。「男親と女親が入れ代わってるやない
 か」と、夫は私をなじった。みんなを敵にまわした寂しさがあった。

  私は気がついていた。腹立ちは、娘にでも男性にでもない。「私本人」に怒り
 を爆発させていたのだ。自分でも気がついていなかった心うち、夢、それが深層
 からメラメラと姿を現してくる。そのいやらしさに腹が立ち、そして悲しみとなり、
 怒りとなっていた。
  「親から自立」そして、私も子供に頼らない「自立した親」であることを自負
 していた。ところが、表面と違う「私」が、内なる奥底で青写真を作っていたのだ。
 それに気がつき愕然とした。「郷里を離れ遠くに就職しても、二、三年した
 ら帰って来る。そして裏庭に家を建て結婚する。百坪余の土地にローンを組み、
 頑張ってきたのはそのためだ」。気がつかなかった私の奥底の心が叫ぶ。
  私には母親がいない。いつしか娘に母親の幻影を見ていた。娘と親の私の中に
 「娘の私」と「親」が同居していたのだ。恐ろしい私。寂しい私。それが腹立た
 しさを膨張させていた。

  「トントントン」。リズミカルな音を刻む。小春の日が優しい。深層の気づか
 なかったものが、一つ一つ昇華されて行く。これが年を重ねるということか。
 鉈を置いて大きく背伸びをする。「年下のできちゃった婚よ」。私は「クックッ」
 と笑い、コブシの太い幹を撫でた。
  「ごくろうさん。もう役目は終ったね」。コブシの木っ端がどんどんできて行った。 


        

       kenさんからお借りしました

          千葉県船橋市 15年3月作品



・・・16         
































        
(賀状見ながら「地名」に思う) ・・・ 上杉 和子
                  京都新聞 投稿掲載 
2005.1.22


 お年玉当選番号を見るために賀状の束を取り出し見慣れない「市名」があるのに
 気がついた。
 「市町村合併」による新しい市名だ。
 
 旧年に賀状が投函された雪深い町も山もなんら旧年と変わりないが、
 山河は新しい市の自然になり、住民は新市民。
 そしていつしか、変更があったことなど忘れ、昔からそうだったように
 生活は流れるのだろう。
 
 親が子供の名前をつけるとき、親の夢を託す。
 それは親の欲深であっても、愛情がある。
 しかし行政では、欲深や便利さだけがもてはやしたのではないかと、新市名を見て思う。
 
 京都市内に「天使突抜○丁目」という町名があると知って驚いた。
 どんな街だろうと夢見る。京都では地名変更は言われないだろう。
 地方が簡単に地名変更されるのは「それだけ大したことない所」と思われているのかと
 ひがんだりもした。
 
 そして、わが地も十年ほど前に住居表示が変更された。
 新興住宅に組み込まれ、都会的?な地名になるのを楽しみにしていた父は、
 それを待たずに亡くなった。
 その年の賀状欠礼に新名を初めて使い、天国にもはがきを出した錯覚を覚え、
 涙したことがある。

 そして、「天使突抜○丁目」。流行の架空請求状などは出し難いだろうと思う地名だ。
 たかが名前、されど名前である。
 賀状から、各地名をあらためて見直している。
  



            


・・・15























(節分前夜) ・・・ 2006.2.2

 雪が雨に変わり立春を感じる。雨音に節分の豆まきを思い出す。
 祖母が焙烙で節分には大豆を炒っていた。ポンポッツ。コロコロ。
 弾ける音と大豆は今日の雨のよう。
 
 年の数だけ食べることに、子供の私は数が少なく不服だった。
 しかしこの年に成ると数だけの堅い豆は食べられない。
 祖母は如何していたのだろう・・・。
 
 各々の年の数を包んだおひねりが神棚に供えられていた。
 次の日、炒り大豆の入った豆ご飯が食卓にのぼった。あまり好きでなかった。
 鰯も匂うばかりで好きでなかった。
 しかし、柊に刺された鰯を見て、子供心にも春が必ず来る事や、鬼がこないと言うことが
 嬉しかった。
 雨の音を聞きながら大豆を炒った。
 焙烙は無いのでフライパンで炒る。 ゴロゴロころがす。
 少し焦げた大豆を水に放つ。
 「ジュー」と音がして香ばしい匂いがする。
 これを豆ご飯にして塩味で整える。

 今日は節分の前に予行練習をしてみた。年の数だけの思い出を思い出しながら・・・・。


           


・・・14






















(赤い実) ・・・ 2006.1.16                    

 近くの公園に、樹木全体が赤い実で覆われ、
 冬の陽射しの中で輝き火柱の如く燃えている木がある。
 あまりの見事さにカメラを手に遠方からも見に来ている。
 名札をみると「サンシュウ」と有る。
 黄色の花時は 見落としていたのに鈴なりの実に足は止まる。
 
 小鳥も啄ばみに来ないのか実は減る事が無い。
 今年は家の南天もピラカンサも、例年なら小鳥たちに啄ばまれ赤緑の葉を残すのみなのに
 今年はまだ残っている。
 「雪が多く小鳥たちが逆に里に降りて来れないのか」と首をかしげる。
 何回か大雪があったが、雪が少し減るごろには赤い実は
 白と赤のコントラストでとても美しく輝く。雪は美しい背景となる。
 しかし、例年より雪が多いと言っても豪雪地でないから楽しんでおられるのであろう。
 豪雪地の方達は それ所ではない。
 赤い実は、見えることなく雪は積り上に上に降り注ぐ。被害は大きく高齢者を直撃とか。

 雪解け水に白いコブシが咲きだし雪国の春は始まるが、
 私は白いコブシより先に「赤い実が、赤い灯火がもうすぐ
 雪の中から現れますから、それまでどうか頑張って下さい」
 と豪雪地の方々の無事を祈る。

          

      長さんからお借りしました

           小石川植物園にて 15年2月作品

           

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(側隠の情) ・・・ 2006.1.4 今年の抱負                   

 「2005年の漢字」は「愛」だった。
 2006年はどんな漢字の幕開けになるのかと心新たにする。
 「愛」は他者を慈しみ、思いやる心である。そして、昨年「側隠の情」という言葉を知った。
 聞きなれない言葉で辞書を引くと「人の不幸や危険に対して、痛ましく思う心で人間だれしも備
 えている心」とあった。
 思い起こせば学生時代に教わった公孫丑篇の「人間の本性は善きものだ」という孟子の
 信念であることに気がついた。
 孟子は「可哀想だと思う心。悪を恥じ憎む心。譲り合いの心。善悪を判断する心。」
 人間はこの四つの芽生えをだれしも備え持ち生まれ、この芽生えを育ててゆくことが世の中を
 安定に導くと記している。
 学生時代は肩の凝る授業だった。
 しかし、今の時代に、これはもっとも必要と思える言葉ではないだろうか。

 今年は「側隠の情」を私のキイワードにして日々を送りたい。
 自分の感性を鋭く持ち、少しでも四つの芽生えを育てて行きたい。
 そしてそれが広がる年にしたいと思う。
 そして少しでもゆっくりした時間を作り、古典名言にも触れてみたい。
 たくさん本も読んでみたいと思う。
                 
       

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(急ぎすぎない暮らしも快適) ・・・ 上杉 和子
                  京都新聞 投稿掲載 2003.2.4

 雪おこしの風で雨戸がガタガタと鳴っている。寒波襲来。
 今年はこれで何回目だろう。
 「雪が降れば歩いたらいい」と車のタイヤを替えなかった。
 「しまった」と思うほどよく降る。今日もせっせと歩く。
 
 昔、貧しく、通学に自転車を買ってもらえなかった私に、担任の先生に
 「おまえは歩け。自転車は乗らん方が良い。ちょっと早起きして、風や空気を感じてこい」と
 言われたことを思い出す。
 
 どこへ行くにも車、同じ町内の五百メートル先でも車で動いていたが、
 歩くとまた違う物が見えてくる。
 歩くと会う人にあいさつをする。気持ちが良く元気が出る。
 ましてや雪の中、いたわりあいたくなる。電車もまた良い。
 
 私は高度成長期を生きてきた。子育てにしても家庭においても社会でも、
 何かにいつも追われているような感じだった。
 目的にいかに早く着くか、手段ばかりを考えていたようだ。
 
 もうひたすらに走る時代ではない。ひたすら走ることも、車も・もちろん重要だが、
 おのおの自分の身の丈にあった生活をすることが大事な時代に来ていると思う。
 歩こうと思えばそれができる状況に感謝して、あの先生を懐かしく思う。

        

                       
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(お茶席)
 ・・・ 2004.7.13

 青紅葉を映す小さな川、小さな小さな赤い橋を渡ってお茶席に行きました。
 新しい扇子と、新緑に1枚の夏紅葉を加えたような色の風呂敷に、
 枇杷を模した涼しげなお菓子を包んで・・・

 静寂の茶室での会話です
 「顔も解からない、知らない人とお喋りして気持悪くないの。」
 「先生とは長い付き合いになりますが、私の好きな色を知っておられます?」
 「さあ〜知らないわね。何色が好き?」
 「そりゃお薄の色にきまってますや」
 「あれは良い色やね」
 「先生顔も解からん。気持悪いと言われるけど、会った事も無い人でも
 ちやんと私の好みが解かって、心が伝わるんです。」
 「先生が今、美味しい美味しいと召し上がっておられる枇杷のお菓子、
 それを包んで来た抹茶色の風呂敷、それに丁度欲しいと思っていたお茶の
 扇子、まるで透視したみたいに、顔の知らない人が送ってくださったんですよ 」「・・・・・・」
 静寂のなかを、爽やかに松風のように湯の音が鳴る。

 「良かったね〜。良いお友達が出来て」
 「はい、いろんな人とお付き合いが出来ました。お友達がどんどん増えました。
 会ったことも無い人ばかりだけれど、みんな大事なお友達になりました。」

 「私もやってみようかしら」「先生、是非是非。人間大きくなれますよ」
 「貴方にそんな事言われたくないわ」

 帰りの小さな橋の上で、新しい扇子をもう一度、開げてみました。
 たなびく朝焼けのような模様。そこに、青紅葉が一枚ヒラヒラ落ちて
 乗りました。大事に畳んで胸元に納めました。

 気持の良い風が通りぬけていきました。

追記・・・ 1のところに姐さん(上杉さん)の青紅葉への思いを綴ったお話があります 
 日常生活からのほんのひとときの・・脱出・・如何でしょうか! 

         


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(野花彩る朝露 美しさに感銘) ・・・ 上杉 和子
                  京都新聞 投稿掲載 2004.10.29

 朝夕めっきり冷え込んできた。
 早朝、あぜ道を歩いてみると、スギナはキラキラと白銀の露を満身に受け、
 ガラス細工のかけらを一面にばらまく。
 
 刈り取られた田は身も軽く、切り株からのぞく青葉は、秋を迎え白いスカーフをまとったように  
 これも一面の露。
 少し行くとミゾソバが点描画のごとく散らばっている。
 
 砂糖菓子のコンペイトーのようなその花は、砂糖の角を欠き砂糖粒を葉の 
 上にきらめく露となって乗せている。白い露、大きな露、プリズムの露・・・
 そして「露草」も咲き誇っている。

 あぜ道は草刈り機でいつも短く刈られているので、
 園芸種かと思うほど整然とぎっしり背を低く露草が青い帯を作る。

 その短い丈は風にも揺らがず、朝の露をいっぱい吸い込んだまま
 花は昼を過ぎてもちぢまない。ほんとうは強い花なのだ。

 自然は、美しさをくれる。元気もくれる。みんな、ありがたいなあ〜と感謝する朝だった。


            

            kuma3さんからお借りしました
          松葉に露 16年作品

          

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(秋の季節は刈り取られました)
 ・・・ 2005.9.27

 稲刈りが始まった。
 整然かつ敏速に外側から刈られて行く。
 あっという間に刈り取られ、稲刈り機はトラックに載せられ、次ぎの田に運ばれて行く。
 機械の威力は凄い、草刈機も其の一つ。
 稲刈り前には、畦道の草が刈られる。造成地の生い茂る夏草も刈られる。

 野の斜面に咲いている野生の百合も、絡まって伸び放題の葛も見る間に刈られる。
 この時期は毎日草刈機の音がする。
 草は刈られても、一雨すれば萌え出ずる春の野のように軟らかくはないが、
 荒々しい草がすぐ伸びる。そして又刈られる。
 草刈械が無ければ、こんなに草刈りはされないだろうと思う。
 ススキ野も刈り取られた。スッキリとはするがなにか寂しい。
 子供の頃は、山の斜面に葛が一面群生していて、
 谷底から強い風が吹き上がると葉はいっせいに裏返り真っ白になる。
 壮観だがなにか寂寥感を感じた。斜面に咲く百合も、両手一杯に摘んだ。 
 自然の中から五感を学んだ気がする。
 現在はスッキリとはしているが、なにかのっぺらぼうで寂しい。
 地球温暖化は森を潰したからと言われる。
 草は根が残っているし、自然のしくみを壊しているわけではないけれど、
 萩も、ススキも刈られ、季節感が感じられないのは寂しいことだ。


          

       りっきーさんからお借りしました
         ゲンノショウコ 15年作品


                               
 

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(小さな秋とまっかな秋)
 ・・・ 2005.9.11

 差し込む陽射しは軟らかく、台所の水は温かく冷蔵庫が冷え過ぎ?
 と感じ始めたら小さな秋の始まりだ。
 シオンやシュウメイギクも、米粒やポップコーンのように小さい蕾を見せ始め、
 草は白露を乗せ出す。
 夜は虫も鳴きだす。
 まるで「小さい秋組」の名札をつけた野の子供たちがどんどん整列する様。
 そして、其の輪が大きくなるとまっかな秋だ。
 モミジノハッパもカラスウリもトンボノセナカもヒガンバナもみんな「まっかだ
 な」と、歌う綺麗な童謡がある。
 春の萌え出る命とは又異なり、まっかにながれる血潮を思いワクワクする。
 秋に寂しさを感じたり、年寄りを夕暮れに例えたりもするが、なんのなんの
 「まっかな秋」の歌を歌うと、私は元気が出る。
 年寄りは負のように取られがちだが負けないでまっかに輝く夕映えにしたい。
 「まっかな秋をたずねてまわる♪」好奇心を持ち「秋によびかけている♪」と、
 沢山の人とコミニッケーションを持ち、そして「まっかな秋にかこまれている♪」
 幸せを感じられる社会でありたいと、小さい秋を迎えて思う。
 「まっかなほっペたの 君と僕♪」いい歌だね。
  

            

       nunoさんからお借りしました
      カラスウリ 15年作品
 

         

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(反戦誓わせる少年兵の日記) 
 上杉 和子 
            京都新聞 投稿掲載 2003.10.10

 秋日和の1日、講演会に出かけた。
 演題は「日記の中に見る人生」その中で少年兵の日記、手紙が紹介された。
 私は涙を流した。
 「僕は、桜や菊でなくて良い。母さんが、毎日耕している野良仕事の野辺の花になります」
 そう言って飛び立って行った少年兵。
 もんぺ姿でくわをふるう母の姿が少年兵とだぶって浮かぶ。
 抜けるような青空の秋、耕す母のそばに野菊が咲いているのだろうか。それとも彼岸花・・・
 どの花にしてもあまりにも悲しく、胸を打つ。

 秋になると子供達は服にいろんな種子を付けて帰る。
 私が洗濯機に衣類を放りこもうとすると、「綺麗だから、置いといて」と言った。
 確かに白いセータにミズヒキの粒々は赤いビーズ刺繍のようだし、
 センダングサは可愛い飾りボタンのようだ。
 そのままハンガーにかけておいた。
 平和な時間だった。
 もう少し早い時代だったら、私は野辺の花になった子を持つ、母であったろう。
 母として、涙がとめどもなく流れる。
 秋の野を駆けて遊ぶ子も、特攻兵で飛び立つ子も母には愛しい子だ。
 今も少年兵はいる。
 その国の母を思うとき、「戦争はいや!」涙の中で堅く思った。


         

・・・6
















    





                      

(猛暑に浮かぶ原爆の悲惨さ) 
 上杉 和子 
            京都新聞 投稿掲載 2004.08.05

 今夏は「暑い」を通り越し「煮えている」ような猛暑が続く。
 いつもなら、大げさに冷蔵庫に頭を突っ込んだり「なんとかしてくれ、この暑さ!」
 とわめいているが、今年は黙ってこの猛暑を感じとろうとしている。

 今夏の初め「暑い暑い!水!」
 「のどから手が出るどころか体中から手が出ている。水が欲しい!」
 と帰宅するなりわめくと、夫がボソッと言った。
 「原爆の時はみんな、そう言って死んでいったんだな」。
 広島育ちの夫から「水遊びをしていると、遠く西の空が真っ赤になり、次の日、
 市内に行くと大田川は遺体で埋まっていた」とよく聞かされていたが、
 いつも興味なく聞いていた。

 あまりの猛暑に「水!」と自分が心から叫んだ今夏、原爆を思った。
 あの時、人々は、手どころか髪の毛一本一本もが「水!」と叫んでいたのだろう。
 燃え、焦げている体。
 「水、水、水」「水が欲しい」と亡くなっていった時代があったのだ。
 原爆の日がくる。
 今夏の私は、暑さを感じて「戦争をのろう」。うんと汗を流し、そして生きていることを実感して。




  

・・・5
















                            

(マナー注意しうるさがれ)  上杉 和子 
            京都新聞 投稿掲載 2005.07.12

 幅1メートル足らずの農道は、駅への近道で
 自転車通りになっている。濃い緑となった稲が
 スクスク育っているのを見て走る。
 畦にはアザミやヒルガオも目に入る。
 田を抜けてくる風が心地よい。
 ところが、先日どう避ければ良いのか
 迷っているように蛇行する少年の乗った自転車が
 向こうから来た。私は自転車を降り、端に避けて
 「左に避けたら当たらないよ」と言った。
 狭い農道だから離合するときはお互い左側に寄る。
 今まであたることもなかった。ベルを鳴らして
 聞こえないお年寄りには降りて挨拶をして通る。
 そう言うことも入れて、好きな農道だった。
 しかし、この少年の後から来た母親とおぼしき人が
 「どうしたん?何か言われたん」と咎めるので
 「自転車は左側通行と言いました」と答えるや
 「うるさい。ババアやな」と言い捨てた。私は驚いた。
 「注意をしない大人」が増えたと聞く。「気が付いたら
 注意しょう」と言われる。しかし「うるさい」「ババア」
 と言われショックだった。
 やはり少年も「ババア!」と思っただろうか。
 どの子もスクスク育つ稲苗のように伸びて欲しい
 と思うのだが・・・
 どうしたら良いものかと悩んでしまう。


         

・・・4

     




















(民族の誇りを衣裳に感じる)
 上杉和子
           京都新聞 投稿掲載 2005.06.14

 絵本で見るお姫様や、お人形のような衣裳の写真に
 惹かれて、(美術館「えき」KYOTO)へ
 「世界の民俗衣裳展」を見に行った。

 ポスターは、憂いを含んだ眼差しの、美しい女性が色鮮やかな
 衣裳をまとって佇むエキゾチックな風情。
 見知らぬ遥か遠くの世界に惹かれるように会場に入ると、
 なんと! 予期せぬこと。
 市田ひろみさんが衣裳の説明をしておられた。驚いた。
 私は芸能人やタレント、有名人を目の前で見るのは始めてである。
 女優、社長、大学講師、書家、画家、服飾評論家・・・数々に活躍されている人だ。
 そんな忙しい中、世界100カ国以上を自ら歩き、コレクションされ、
 そして今、目の前でその衣裳の国の情勢、
 其れを着ていた女性のことなどを一つ一つ語って下さっている。
 その情熱に感嘆した。

 民俗衣裳の数々は胸底に響いてくる。
 緻密な一針々に其の国の民族の誇りを感じる。
 それは厳しい暑さから身を守る物、布地の強化、婚礼と言う次世代への
 橋渡し等、
 必要から生れたものであろうが人間の叡智の結集のように思えた。
 其の国の理に合ったものが民族衣装となるのだろう。
 数々の美しい衣裳に、憧れと感嘆の溜息が出る。
 そして、市田さんに握手もしていただいた。市田さんの服姿も素敵だった。 
 パワーをいただいたよう。
 私も頑張って日本の民族衣装、和服を着てみようと思った。


                              

・・・3  
(新聞が運んだ茅花の思い出) 上杉和子
           京都新聞「窓」投稿掲載 2003.06.05

 新聞紙上で「茅花(つばな)流し」と言う言葉を見つけた。
 良い言葉だ!と思った。

 昭和30年代、都会から引っ越してきたやせぽっちの私に「これ食ってみな」と  
 茅萱(ちがや)の白い柔らかい穂が差し出された。綿菓子のように甘くっておいしかった。
 ツンバラといって茅花の若い穂だと教えてくれた。

 私は遠足の時それを採っては食べ、先生に叱られた。
 みんなにあざけるような笑いでからかわれた。でも教えてくれた子だけは笑っていなかった。
 そういうことが思い出される。
 土手に茅萱が銀色の布の様に穂綿をいっせいになびかせている。
 まさしく「茅花流し」だ。うれしい言葉だ。

 その後、琵琶湖が海とつながっていた名残として咲く浜昼顔が紹介されていた。
 淡水湖が海の名残だった?浜昼顔?と興味を持ち近くなので見に行った。
 広がる湖と渡ってくる風、砂の感触、浜には薄桃色の花が静かに広がっていた。

 太古のロマンを秘めて静かに咲いている花。良かった。見に行って。
 幸せな気持で帰る土手に夕焼に染まって茅の穂がなびいていた。

 お金のかからない小さな幸せ。新聞が運んでくれた。

・・・2   ツルマンリョウの自生
         随筆きょうと2003.春号(NO73) 上杉和子


 「大波・・」―――「小波・・・」と、縄の両端を持った二人が、大きく背伸びするように回す。
 波を次々と超えていく遊びを、もう何時間やっているだろう。私は跳べなくって縄を
 まわす役ばかりだ。手が疲れてくる。べそをかきたくなる。「もうやめた。私帰る!!」
 でもそれを言ったら友達を失いそうで真っ赤になって縄を回し続ける。

 「和子〜、和子〜」

 神社の高い石垣の上から祖母が手招きしている。その隣に、もう一つ人影がある。珍しい。

 「私帰るわ」。解放されたように大きく言う。「あの人だれ、見かけん人やなあ」。小さい
 田舎村だ。どこの誰かは子供にもすぐ分かる。みんな一斉に、祖母めざして階段をか
 け出した。一番後から、私も駆け出す。

 祖母のそばには、青年が立っていた。青年は突然子供達に囲まれ、戸惑っているようだ。
 「なんか用?」青年に顔を向けたまま聞く。

 「この人が、ツルマンリョウ見たいんやて、和子なら知ってるやろ」「ツルマンリョウ?なんや!
 それ!」子供達は、わいわい騒ぎだす。

 「なんとなく降りたった駅の案内板に、天然記念物ツルマンリョウの自生地と書いてあったので
 どんな物かと思って・・・・」申し訳なさそうに、ぼそっと青年は言う。

 私は「知ってるよ!」上気した大きな声で言った。つい最近「田舎でなにも観光がない。
 寂しいから駅にツルマンリョウの案内を出してもらうか」と、宮司の父が奔走していた。

 目立たないヤブコウジを、つるにしたような植物。境内の続きにある自生地の山に、
 父につれられ、二、三回見に行っている。「ツルマンリョウ、自生するここが北端で、昭和
 二十八年に天然記念物に指定されたんや」「へえツルマンリョウ?天然記念物?何や
 知らんけど、大事なもんなんやなあ!!この上には座ったらあかんな」と思った。

 私は、友達にいじめられたり、嬉しい事があると、山に入り込んだ。

 「お母さんが居ないんだから、お父さん怒らしたら、誰もかばってくれる者おらんやろ。
 怒らすな」それが父の言い癖だった。叱られると、一人山に行っていることを父は知らなかった。
 山の中の静寂さ、風、湧き水を横切る沢ガニ、涙を拭うために座り込んだ位置からしか見えない
 小さな草花、みんな友達だった。

 「ついといで。案内したる」。先頭をきって山に入る。「和ちゃんて言うの。足速いね」「こいつ、いつも走りべべたこやで」
 「ほんまに知っているんか?」。疑わしそうに仲間たちが言う。「暗ろうなったらあかん」
 「見たいんやったら頑張ってついといで」。
 私は青年の手をひっぱる。「和ちゃんの手、小さいけど温かくて元気やね」「そうや子供は風の子!元気で当たり前や」

 ツルマンリョウの前で、ハアハア息を切らして追いついた仲間たちが「なんや、こんなん。
 どうちゅうもんやないわ。しょうむない」「なに言うてんの、これは天然記念やで!」 。
 私はむきになって「目立たん綺麗でもなんでもないもんやけど、ここが生えてる一番北なんや。
 ただの葉っぱやけど貴重なもんや」「なんでも、しょうむないもんなんか、ないんや」私は山の友達が
 バカにされたようで大きな声で言い返す。声が山に響く。

 青年は「和ちゃんありがとう」と私の頭をなで帰って行った。

 半年ほどして、神社に小包みが届いた。ようかん、あられ、チヨコレート、キャンデイ一かりんとうがいっぱい送られてきた。
 「この間、和子がツルマンリョウ案内した人からや 」。これといってお八つのない田舎だ。
 珍しいさに目を見張った。「あの青年、悩み事あ って家出したはったんやて。なんとなくツルマンリ ョウって
 『どんなもんかいな』と思って降りて尋ねて来たんやて」「なんや、わざわざツルマンリョウ見に来   たんと違うの。
 一生懸命説明したげたのに」。ちよっと私は不満だった。

 「それでな、元気なかったんやけど、ツルマンリョウ見て元気になって家に帰らはったんやて」
 「元気な和子の説明に、頑張ろうと思うたんやて」「ふう〜ん、それでなんか暗い感じのする兄いちやんやったんやな」
 はませた口ぶりで言いながら、大きなかりん とうを口いっぱいに入れた。

 「でも和子よく一、二回、見に行っただけで、ツルマンリョウの場所が分かったなあ」
 「うん!分かってんねん」

 私は、もう一つ、かりんとうをほうばった。

        

・・・1

  3年前に小さいノートがつくられた。そこには1枚もみじ葉が
  挿まれている

  (「夕映えは自分で」本音語るには書くこと大切)
               上杉和子 京都新聞投稿 2002.11.27

  季節が駆け足で行く。洗濯物に紅葉、黄葉がついている。
  たたまないでそのままにしておく。子供達が巣立ち、愛犬も
  数ヶ月前に命を閉じた。強がってみても、なにかポッカリ穴が
  あいたような日々。「しっかりせな、夕映えの美しさを輝やかせ
  るんや!手のかかること皆終えて、これから私の人生や、輝くぞ」
  と思っていたのに。子離れのできている親だと思っていたのに・・・。

  この無気力さは何だろう。いろいろ趣味を持ち元気でいたはず。
  「なんで寂しいんやろ」とついてきた紅葉をクルッと回してみる。
  「世の中をみると悲惨なこと、不条理なことが一杯ある。
  幸せと思わないとバチが当たるよ」と自分をしかる。             
  子供時代、誰でもだろうが、文章を書いたり、詩を書いたり
  するのが好きだった。しかし何十年書いていない。手紙さえ
  書かなくなっている。「そうだ、自分の正直な心の中を書いて
  みよう。そうだ投稿もしてみよう!」「自分と本音で語れるのは
  書くことかな」と思う。「とにかく書いてみよう。そして投稿し
  てみよう。本当の第二の人生の始まりにしよう」とノートを用意
  して、洗濯物についた紅葉をはさんだ。
  これからが本当の老後の準備、心の準備かなと自分に
  「頑張れ」
  とはさんだ紅葉にフーと息をかけた。

  *************************
  そして 

  少し黄ばんで来たこのノートにもう1枚、もみじの葉を
  挿みました。「青紅葉」です。

  なぜか、毎年5月は臥せます。昨年は足の怪我、
  昨昨年は救急車、其の前は入院、其の前は歩む道の岐路
  に立ち・・・

  今年は長引く風邪で、臥せっていました。そこに「青紅葉」が
  宅配便で・・・。

  白く砕ける清流に青紅葉が流され行く。渦、流れゆく青葉を
  みごとに表現している一棹の練羊羹。そして「青紅葉」が
  1枚添えられていました。

  綺麗に紅葉した葉を、保存する事はあっても「青紅葉」
  はない。障子紙の中に忍ばせたり料理の飾りに使うがあっても

  それは消耗品でした。

  今、小さいそのノートに「青紅葉」も挿みました。
  やっぱり
  「頑張れ」と息を吹きかけて・・・

  ***********************


     一人静さんのHP、一期一会のキリバン55555記念に、
     風邪で澱んでいた頭と目に(霧が晴れるような涼やかな)目薬が
     一滴点眼されました。。「青紅葉」!有難う御座いました。
     静さんがこの度、私の拙い作品を掲載してくださる事になりました。
     ちよっと面映いです。
     地元新聞に投稿掲載されたもの。同人誌「随筆きょうと」の作品、等です。


     皆さんの素敵な写真やスケッチを添えてくだされば、こんな幸せな事は
     ありません。私も挿絵をと思いつつ、文章が先に走って居ります

                                                              

                                                        ※ こちらの壁紙は 篆刻素材AOIさんから拝借しております