この詩を知ったのはいつのことだったか
テレビのドラマで・・題名も忘れてしまったが
病院に入院中の子供が毎回、何度も何度もこの詩を読んでいる・・・
たしかそんなドラマだった
何度となく聞いているうちに 記憶に残った
【生きているということ いまいきているということ】
気になっていたこの詩をここに残したいと思います
kuma3さんからお借りしました
21.11月 ブナ林にて
☆ 生きる | 谷川 俊太郎 | (理論社) |
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること
あなたと手をつなぐこと
生きているということ
いまいきているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
おこ
怒れるということ
自由ということ
生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと
生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ
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kuma3さんからお借りしました
17.2月 凍てつく海より
◇ ◇ ◇
いつも読ませていただくサイトで【命なりけり】という題名を見つけた
借り物ばかりでどうかとも思うが 気になったのでお借りして掲載させていただきました
お天気博士 倉嶋 厚さんのホームページ より
2009/11/9 命なりけり
数年前の十月三十一日に下伊那郡上村の「上村総合文化祭・かみむら健康まつり」で、私の八十年の人生で感じたことの幾つかを語った。
中央構造線に沿う深いV字状の谷底と高い尾根と、その間の急峻な傾斜地に散在する総人口約七百三十人の集落から、
高齢者を主として多数の村民の方が小中学校の体育館に集まって熱心に聞いて下さった。
標高約千bの急斜面の民宿からは南アルプスの三千bの聖岳が目の前に見え、
シシ鍋やコンニャク料理、二度芋(にどいも)の田楽などが美味(おい)しかった。
毎年十二月に行われる湯立ての神事、霜月祭は有名で、一度は行ってみたいと思っていた秘境だった。
山腹を彩る紅葉・黄葉を見ながら私は「命なりけり」という言葉を思い出していた。
この言葉については辞書に「命があったればこそできた」、「寿命が長らえたことに対する詠嘆の言葉」とあり、
「年たけて又こゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」が載っている。
西行が六十九歳の文治二年(一一八六)、奥州への最後の旅で詠んだ歌である。
小夜(さや)の中山は静岡県掛川と金谷の間の急坂で、箱根に継ぐ東海道の難所とされてきた。
帰りに茅野駅の書店で、上村に隣接する南信濃村出身の草田照子さんの著書「うたの信濃」(一九九七、信濃毎日新聞社)を買った。
そこに放浪の歌人・山崎方代の「摘みとりし蕗の花芽を手にさげて安曇野を行く命なりけり」が記されていた。
(読売新聞長野県版コラム「倉嶋 厚の季節アルバム」〇四年十一月より)
・・・いのちということ・・・
折あるごとに考えて行かなければと思います
何度も病気をし 危機にさらされたこともあったという義父が
今年は卒寿を迎え 「そろそろお迎えが来てもいいのに」と言い
聞き相手になる私は「まだやることがあるんだから 来なくていいよということですよ」と冗談を返していた
その義父が今(10月末から) 脳梗塞で入院中だ
もしかしたら 「もういい加減 いいよ」と思っているようにも見えるが
いのちを全うするということが如何に大変なことか・・・
身の処し方を考えさせられる今日この頃です